『沖縄で生まれたマナティーの赤ちゃん』 未知の人工保育に奮闘


社会
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『沖縄で生まれたマナティーの赤ちゃん』長﨑佑著 ボーダーインク・1870円

 ドキュメンタリーな保育物語。物語は1978年メキシコ政府よりマナティー2頭が寄贈され、沖縄海洋博記念公園水族館へ輸送する作戦から始まる。著者は日本で初めてシャチを飼育した千葉県の鴨川シーワールドで海生哺乳類の飼育調教を学んだあと沖縄水族館に赴任。サンゴ礁の生きものからジンベイザメ、マンタ、イルカ類の飼育調教の第一人者だ。

 そしてマナティーの飼育を担当する。半世紀近くの水族館人生で忘れられないのがこのマナティー人工保育だという。マナティーの初産で、世界で初めての双生児出産を確認。2回目は出産後に死亡し経験的集積をする。人工保育に成功したのは3回目に生まれたマナコ(家族が付けた仮名)だった。

 著者はその日、仕事終えて帰宅中、何か気になりマナティーの飼育漕へ立ち寄った。何ということか、出産直前の兆候を確認したのだ。居合わせてなければ最悪の事態を招いただろう。著者が言う「虫の知らせ」だ。職員に非常招集をかけ、出産から懸命な救命作戦が始まり、試行錯誤の人工保育が続く。

 日本初の出産例でデータもない。3回目の出産で哺乳瓶やミルクを工夫。県立北部病院小児科へ何度も検査へ行き治療し、世界初のCT検査まで受けることになった。受けて立つ小児科医の方々の英断は著者のあまりの熱心さにほだされたのだろう。「藁(わら)をも掴(つか)む思いで人間の医者に相談」したと著者は述懐している。

 一読して目を閉じると、著者の動物に対する鋭い観察力を感じる。水族館スタッフ、家族に支えられ、マナティーを救ったのだとつくづく思う。人間に対するのと同様、水生動物に寄せるヒューマニティーに驚嘆せざるを得ない。「遠くメキシコから来たマナティーが一生懸命に生きる姿を、これからの人生を切り開いていく子どもたちに知っていただくことになればいい」とつづっている。

 同著は単なる保育日誌ではない。どこまでもドキュメンタリーなマナティーに寄せる愛情物語なのだ。

(島袋正敏・黙々100年塾 蔓草庵主宰)

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 ながさき・たすく 1945年、長野県生まれ。八洲学園大学国際高校教諭。日本大学農獣医学部水産学課卒業。飼育員などとして鴨川シーワールド、沖縄海洋生物飼育技術センターなどを歴任。沖縄美ら海水族館の計画、設計などに携わる。