3月13日の毎日新聞によると、〈新型コロナウイルスの感染防止策として備蓄のマスクを職員向けに配布する対象に、従来の幼稚園や保育園などに加えて、小学校や埼玉朝鮮初中級学校幼稚部などの各種学校も含めると発表した。近く配布する。〉らしい。
なぜこんな当たり前のことがニュースになったのか?
市側は当初「マスクが不適切に使用された場合、指導監督できない」として朝鮮学校の幼稚部を配布対象に含めなかった。「それって酷(ひど)すぎやしないか」とSNSで声が上がったからだろう。
やはり、声を上げたほうがいいのだ。
11日に世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が会見し、「新型コロナウイルスはパンデミックといえる」と発言した。
もはや世界中の多くの人々がコロナにかかる危険性があり、誰もが怖い。弱い人たち、お年寄りや子どもを守ろうとする気持ちが湧き上がるのが、人として当たり前のことでないか。
さいたま市は当初、よく差別なんてできたものだ。この国の一部の人たちが、朝鮮人は、韓国人は、などと言い、卑劣な差別をしているのは知っている。その醜い感情を子どもたちにまで向けたのかと思うと、吐き気がしてくる。
そういう一部の人々の恥ずかしい行為が世界に流れていけば、「日本人は」と一括(ひとくく)りに言われ、非常に迷惑でもある。
そうそう、新型コロナウイルスを「武漢熱」と呼べと言っている、自民党の一派がいる。
それにどんな意味があるというのだ。今やるべきことは世界で拡大していく新型コロナウイルスに対し、各国が協力し合い、感染を防止すること。中国から始まり、中国の感染者が減っているとなれば、そのデータなどを共有し合うほうがいいに決まってる。
差別をする人は、その行為がどれだけ愚かで恥ずかしいことなのか分かっていない。だから、そういった行為を見かけたら、いちいち叱(しか)るべきだろう。あたしは彼らの馬鹿な言動を知るだけで、それだけで傷つく。
(室井佑月、作家)