辺野古の工事遅れ 那覇空港を引き合いに政府が責任転嫁


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 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設で、政府は辺野古の工事が遅れている理由を県の協力が得られていないためだと主張し、那覇空港第2滑走路の事業化を引き合いに地元の協力の必要性を説いてきた。だが新基地建設の場合、県の協力や県民の理解の有無に関係なく作成できるはずの護岸の設計すらそろわず、軟弱地盤の改良に時間を要しているのが実態だ。

 2019年2月の記者会見で普天間飛行場の運用停止について問われた菅義偉官房長官は、那覇空港の例を持ち出し「那覇の第2滑走路は協力を頂いているので、来年には完成する予定だ」と述べた。目的や規模など性質が異なる両事業を比べること自体が疑問視されてきたが、辺野古の工事が遅れていることを沖縄側の責任に転嫁する形で正当化しようとしたことに県は反発した。

 辺野古新基地建設を巡っては、13年12月に当時の仲井真弘多知事が沖縄防衛局から申請された公有水面埋め立てを承認。那覇空港の滑走路増設事業については、2週間後の14年1月9日に沖縄総合事務局から申請された埋め立てを承認した。

 那覇空港の事業は複数回の設計変更を経て進み、今年3月26日に運用が始まる。一方、ほぼ同時期に埋め立て承認を受けた辺野古新基地建設は承認から5年が過ぎたが、軟弱地盤が広がる大浦湾側の護岸設計は一部しか提出されていない。さらに政府は19年12月、埋め立てなどに要する工期9年3カ月を含め、米軍に施設を提供し事業が完了するまでには12年かかるとし、普天間飛行場の返還時期は30年代にずれ込むことが確実になった。

 政府は工事の遅れについて「県の協力が得られていないためだ」と主張しているが、県側は「協力がないからではなく、設計すらできていないからだ」と反論する。県は承認撤回に関する政府への意見書で「工事が進んでいない状況で辺野古移設にこだわることは普天間の危険性を固定化することにほかならない」と批判している。
 (関口琴乃)