米軍上陸から3日後の「規定」、伊江島収容所の住民が記録 遺族保管、村に寄贈へ


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「昭和廿年四月十九日」と表紙に記された伊江村民収容所の「炊事竝幕舎記録」(個人所蔵)

 沖縄戦の際、1945年4月16日に米軍が上陸した伊江村で、米軍に収容された住民らが収容所の炊事場での役割分担や規則などを記録した伊江村民収容所(ナーラ収容所など)の「炊事竝幕舎記録(すいじならびにまくしゃきろく)」が同村内に残っていることが分かった。表紙に米軍上陸から3日後の日付「昭和廿年4月19日」が記されている。沖縄戦研究者からは「米軍上陸からわずか3日後に収容所での役割や規則を住民自らが整理し記録した例は珍しく、初めてではないか」と戦中・戦後史の貴重な記録だとの指摘が上がっている。

 「記録」を書いたのは、記帳係を担った島袋正得さん=当時(53)。正得さんの死後、孫の宮城敏男さんが保管した。2018年に敏男さんが亡くなった後は敏男さんの妻・ヤスさん(79)が村内の自宅で保管してきた。ヤスさんは村への寄贈を検討する考えだ。

 「記録」の「幕舎規定」では炊事班の班員は班長の命令に絶対服従し、米軍が命令する作業に従事することも記されている。規定違反の場合は退舎させることもできる厳しい罰則もある。

 2008年、伊江村史編さん担当嘱託員を務めた川島淳さん(現・沖縄国際大非常勤講師)が「記録」を調査し「伊江村史2編さんだより」に初めて紹介。09年に村教育委員会の企画展で「記録」を接写した写真を展示したが、村史などでは「記録」の記述はない。川島さんは同様の収容所規定が現存する例は聞いたことがないとして「原資料として価値が高い」と語る。沖縄戦に詳しい石原昌家沖縄国際大名誉教授も「ここまで自分たちで律した収容所生活の例は聞いたことがない。阿波根昌鴻さんの記録と並ぶ貴重な資料だ」と強調した。 (古堅一樹)