持続的な思考に重点を 「本分かり」への到達が焦点に <言わせて大学入試改革>


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南風原朝和氏

 前回、2月28日付の本欄では、大学入試改革の理念として語られる「知識偏重からの脱却」ということについて、その問題点を指摘した。知識は思考によって深められるものであり、そうやって到達する「本わかり」は偏重してよい大事なものだということを強調した。

 入試改革の理念としては「知識偏重からの脱却」と合わせ、「思考力の重視」ということもよく言われる。では、「思考力」とは何なのか。

 テスト作成者は「思考力を問う問題を」という要請を受けたら、「知識や理解ではなく、純粋に思考力を測る問題を」と考えがちである。その結果、受験者にとって初見となる情報を与えて、そこから答えを導くような問題など、そのテスト場面の短い時間で考えさせる問題を苦労してひねり出そうとする。

 このように短時間に高速で働く思考も思考力の一側面ではあろう。しかし、私が前回書いたような、深い知識、本わかりに導く思考というのは、日ごろから疑問に思うことを、時間をかけてああでもない、こうでもないと考える、持続的な思考である。このように粘り強く考える習慣こそが、学校教育で育てるべき力ではないだろうか。

 短時間、高速の思考のほかに、日常的、持続的な思考があること、そして、後者が本わかりに必須なものであることを認識したら、「思考力を問う」テストの内容も変わってくる。日ごろの思考の成果である本わかりに到達しているかどうかに焦点を当てるのである。「知識や理解ではなく、純粋に思考力を測る問題を」という、方向違いの、そして実現困難な目標から解放されてよいのである。

 こうした「思考力を問う」テスト作成の方向修正は、指導者にとっても学習者本人にとっても意味がある。それは、指導の目標、学習の目標が明確になることである。
 たとえば、担任教師が「テストの結果、あなたのクラスは思考力が低いことがわかった」と言われても、何をどうしてよいかわからないだろう。それが、「あなたのクラスは、〇〇についての理解がまだ浅く、本わかりしているとは言えない」と言われたのなら、改善の方向も見えてくる。

 「思考力を問う」という理念は、誰もが賛成しそうなことであるが、「思考力」という概念は簡単なものではない。ここで述べたような観点からその概念を見直し、入試改革があらぬ方向に進んでしまわぬよう注視していきたい。
 (東京大学元副学長)
 (毎月第4週掲載)
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 新しい大学入学共通テストが2021年1月に実施されるにあたり、2人の執筆者に交互に月に1度、その背景や思いを執筆してもらう。次回は5月22日付で、灘高校・中学校教諭の木村達哉氏が執筆する。