岡本行夫氏コロナで死去 驚きと悲しみ「沖縄を思う“政治家“」


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岡本行夫氏

 外交評論家の岡本行夫氏の訃報を知った県内関係者からは8日、驚きと悲しみの声が上がった。岡本氏は橋本、小泉政権で首相補佐官を務めた。特に橋本政権では沖縄担当として米軍普天間飛行場の移設計画や振興策の策定に携わった。政権中枢を退いてからも沖縄を訪れて地域との交流を重ねていた。

 基地所在市町村の振興策を話し合う懇談会で共に委員を務めた稲嶺恵一元知事は「沖縄に思いを寄せる人がまた一人いなくなった。寂しい。本土との意思疎通が難しくなっていく」と惜しんだ。当時、地域の声を聞くため、共に泊まり込みで県内各市町村を回った。「政府の立場だが現場に入るうち、沖縄の立場で考え発言していた。優しさと純粋さが印象的だった」と語った。

 同じ元外交官で親交があり書籍などで対談した作家の佐藤優氏は「非常に聡明(そうめい)で素晴らしい人だ。本人なりに沖縄のために尽力した。残念だ」とする一方で「本人としては善意だが、沖縄を対等なパートナーとして捉えられなかった。『何かをしてあげないと』と考えていた。そういう形でさえ沖縄を思う政治家がいなくなったことは日本の悲劇だ」と強調した。

 橋本政権で首相補佐官だった岡本氏と嘉手納町の振興に取り組み、その後も親交を続けた宮城篤実元町長は「県民の命や生活を守るため実務的に動いた数少ない人だった」と振り返った。岡本氏は居酒屋で町民と酒を酌み交わし、声に耳を傾けることもあった。宮城氏は「県や町にとっても誠に残念だ」と述べ、悼んだ。

 岡本氏は伊江村にも足しげく通い、1998年には名誉村民第1号となった。2月にも村を訪れて地域の子どもたちと交流し書籍の購入費70万円を寄付した。島袋秀幸村長は「驚きと悲しみで言葉が出ない。伊江島をこよなく愛する理解者の一人だった」と話した。


「けんかの途中で逝去されると痛い…」岡本行夫氏を悼む 前泊博盛・沖縄国際大教授
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