「けんかの途中で逝去されると痛い…」岡本行夫氏を悼む 前泊博盛・沖縄国際大教授、元琉球新報論説委員長


社会
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岡本行夫氏

 沖縄を掌握するタフネゴシエーター(らつ腕外交官)の突然の訃報である。7日夜、携帯電話が鳴り続けた。東京、神奈川、熊本、愛知など全国の友人、恩師たちから「長年のけんか友達を失いショックでしょう」と慰めの言葉を頂いた。

 1988年の外務省担当の国会記者時代からの付き合いだが、95年の少女乱暴事件の後は、普天間問題を巡って何度も大ゲンカした。96年秋には、首相補佐官として来県し「辺野古移設への協力」を求められ「あなたの娘が米兵に暴行されても、それでも米軍基地が必要と言えるのか。橋本龍太郎総理に伝えてくれ」と席を蹴った。「記者としての立場を逸脱した“暴言”」とたしなめられた。

 オフレコのはずの密談だったはずだが、翌日には私の「配置換え」を新聞社の幹部に求めたことを聞かされ「オフレコ解除」と「絶交」を伝えた。

 敵に回すと「脅威」だが、味方にすると頼りになる。これが、県内の基地所在市町村長を「とりこ」にしたらつ腕外交官の魔力である。

 普天間返還実現と引き換えに辺野古新基地建設の流れを作った「張本人」である。一方で、96年には「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」(通称・島田懇談会)を担い、基地所在市町村の基地負担軽減と地域振興策に2千億円を超える国費を誘導し、人心を掌握。大阪や福岡などが名乗りを上げる中、国際会議場もない沖縄にサミット(沖縄サミット)を誘致・成功させる離れ業もやってのけるなど、沖縄振興にらつ腕を大いに発揮した。

 県内基地所在市町村にとって「名誉市町村民」的存在であり、整備された施設には似顔のレリーフが飾られている。離島も含め、悔しいほどに沖縄の隅々まで情報源を持ち、地域の現状や課題を熟知し、願いをかなえてくれる「神の手」を持つ外交官でもあった。

 リチャード・アーミテージ米元国務副長官やジョセフ・ナイ・米ハーバード大教授ら「ジャパンハンドラー(日本掌握者=支配者)」らをして「日米関係の巨人」「同盟を築いた巨人」「同盟の擁護者」「日米の困難を解決する助言者」と言わしめる。まさにらつ腕外交官の真骨頂を示す賛辞であろう。

 辺野古新基地建設を強行する姿勢に「あなたはどの国の外交官なのか」とかみついたこともある。「私ほどの愛国者はいない。だからこそ日米関係を重視している」と、あのニヒルな表情で懐柔してくる。そうかと思えば「米国に依存しすぎると危険。そこは前泊さんと同じ意見」とすり寄る。手ごわい相手だった。

 けんかの途中で逝去されると痛い。痛恨の極みである。もっと本音と本心、とりわけ日本中枢の「沖縄認識」を聞いておけばよかった。

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 岡本行夫氏は4月24日に死去。74歳。