『「火花方日記」の研究 琉球国王 尚家文書』 王国の花火技術鮮明に


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『「火花方日記」の研究 琉球国王 尚家文書』 麻生伸一、茂木仁史編 国立劇場おきなわ監修

 琉球王国時代には、その体制を支えるための多様な技術や技能があった。

 首里城を明け渡し、沖縄県時代になると、生活に密着した技術や技能、例えば漆器や染織などは存続したが、そうでない多くのものは消えていった。消滅したものの一つが花火(当時は「火花」)だったのである。

 1866年、最後の国王、尚泰(しょうたい)を冊封(さくほう)するために中国皇帝が派遣した外交使節団(冊封使)が琉球を訪れる。

 その年は寅(とら)年なので、「寅の御冠船(おかんせん)」と呼ばれる。琉球側は芸能などのソフトパワーを発揮して、王国最大の外交イベントを盛り上げた。

 おもてなしの中心となる催しが中秋の宴であり、首里城の御庭(ウナー)がその舞台であった。皇帝の使者たちの前で琉球芸能を演じた後、とっておきのプログラムとして花火が披露された。

 それは琉球の職人たちが工夫を凝らした仕掛け花火であり、大国の使節団を満足させるレベルのものだったのである。

 この花火プログラムの準備過程を詳細に記録したのが、『火花(ひばな)方(ほう)日記』である。東京の尚家で保存され、今は那覇市歴史博物館が所蔵している。

 花火職人たちが描いたカラーの美しいイラストが掲載されており、仕掛け花火の技術的なコンセプトが詳しく記されている。大任を任された職人たちの意気込みが伝わってくる資料である。

 本書は、その『火花方日記』の全文とイラストを初めて紹介した画期的な本である。本の中にはくずし字の原文を示し、対応する読みも掲げている。そのため、古文書講読のテキストとしても活用できる。

 外間政明氏(那覇市歴史博物館主幹・学芸員)、豊見山和行氏(琉球大学人文社会学部教授)、茂木仁史氏(国立劇場おきなわ調査養成課課長)の3氏による背景説明があり、特に麻生伸一氏(沖縄県立芸術大学全教育センター准教授)の琉球花火や職人たちに関する解説は新鮮である。

 (高良倉吉・琉球大学名誉教授)

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 あそう・しんいち 1981年熊本県生まれ。2015年、沖縄文化協会賞・比嘉春潮賞を受賞。主な編著に「鎌倉芳太郎資料集IV」など。

 もぎ・ひとし 1957年東京都生まれ。東京・国立劇場の伝統芸能プロデューサーを務めた。著書に「入門日本の太鼓」など。