日本軍の監視哨跡、75年経て崩れず現存 住民「芋分けたことも」 恩納の海岸


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海岸沿いに築かれた日本軍の監視哨跡=3日、恩納村恩納

 【恩納】沖縄県恩納村恩納の海岸で沖縄戦前年の1944年に日本軍が築いた監視哨の跡が今年1月頃に現存していることが確認された。東シナ海に面した海岸沿いにあり、米軍上陸前に、日本兵が常駐し付近を航行する船舶などを見張っていた。村教育委員会は活用方法などを検討する。

 監視哨跡は「ウドゥイガマ」の真上に位置する。「恩納字誌」によるとガマは石灰岩の海食洞穴で、8月村芝居の練習の場として使われていた。

 監視哨は約2メートル四方で、琉球石灰岩が1メートル以上の高さに積まれ、セメントで固められている。南は残波岬から北は伊江島や本部半島まで見渡すことができる。崩落などの跡はなく、当時のままとみられる。

 恩納村には1944年夏に第24師団(山部隊)の第32連隊が駐留していた。当時、監視哨に行ったことがあるという恩納に住む當眞嗣長さん(89)によると、監視哨では日本兵数人が真下のガマで寝泊まりしながら海上の監視を続けていた。小銃などの武器も置かれていたという。ガマ内には煙が出ないように加工した釜も置かれ、集落に日本兵が水をくみに来ることもあった。「兵隊に芋を分け与えたこともあった」と振り返る。

 山部隊は44年末に本島南部に移動した。恩納村では45年の米軍上陸後の戦闘は山間部が中心で、監視哨は戦闘では使われなかったとみられる。

 「恩納字誌」にもウドゥイガマの上に日本軍が監視哨を築いたことが記されている。恩納村史編さん係の瀬戸隆博さんは「戦跡が現存してるだけでは伝わらない。恩納村の戦争が伝わるように活用したい」と強調した。當眞さんも「戦争遺跡として残すべきだ」と話した。