96歳デビュー歌集 沖縄戦も夫婦げんかも「あっしゃもー、最高です」 那覇の許田さん


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沖縄戦の体験などを詠んだ第一歌集「福木の双葉」を発刊した許田肇さん=5日、那覇市内の自宅 

 数え年97歳のお祝い「カジマヤー」の節目に、許田肇さん(96)=沖縄県那覇市在住=がこのほど初の歌集「福木の双葉」を発刊した。歌集には沖縄戦体験のほか妻や友への惜別、旅の思い出など苦楽を詠んだ約350首を収めている。日頃からポケットにペンと紙切れをしのばせ、いい言葉が思い浮かぶと書き留めている。本の編集は長女の大塚邦子さん(70)、次女の吉田涼子さん(67)、長男の憲さん(64)が協力した。許田さんは「こんな立派な本ができるとは。あっしゃもー、最高です」と柔和な笑顔を見せた。

 短歌との出合いは会社を退職した65歳の頃。邦子さんに誘われて「梯梧の花短歌会」の歌会に参加したのがきっかけだ。それ以来、30年余り活動を続け、現在は会長を務めている。

 「読み止しの本に栞の見当たらず取り敢えず挟む福木の双葉」。表題になった短歌は本部町備瀬のフクギ並木に囲まれた集落を歩いた際の感動を詠んだ。

 許田さんは1923年生まれ。那覇市立商業学校(現那覇商業高校)を卒業して沖縄新報に入社した1945年、沖縄戦に直面。戦況の悪化とともに首里にあった「留魂壕」に移り新聞発行を続けた。

 同年4月下旬、解散命令を受け糸満を目指し南部を逃げ惑った。「さまよひて地獄を見たりいかならむ言葉も軽し黙して言へず」「埋められて兵の片足天を指す時経るほどに脳裏を去らず」。戦場の記憶は拭い切れない。逃げる途中、目の前で日本兵が砲弾を受け倒れた。「惨すぎる姿忘れず摩文仁野に顎をもがれし兵はいづこに」という歌に戦争のむごさを刻んだ。

 許田さんの短歌はユーモアも漂う。亡くなった妻・初子さんと夫婦げんかした時の情景を詠んだ一首。「争ひて言葉交はさぬ二日間ときにわれらのレクリエーション」

 月1回の歌会で作品を合評するのも楽しみの一つ。「県外を旅して沖縄と違う文化、風習に触れて歌にしてみたい」と夢を広げている。

 歌集「福木の双葉」は今後、那覇市立図書館や県立図書館などへ寄贈を予定している。