知名度も時間もない新人が大勝した理由 現市政への不満受け皿に <糸満市長選 市民の選択>上


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
打ち上げ式で集まった支持者の声援に応える當銘真栄氏。當銘氏の人柄を積極的にSNS発信した地域の若者たちも多く集まった=6日、糸満市の阿波根交差点

 正式な出馬表明から1カ月半の短期決戦だった。7日投開票された糸満市長選で先に出馬表明した現職の上原昭氏(70)に4482票の大差をつけて初当選したのは、新人で前市議の當銘真栄氏(54)だった。知名度も時間もない中、平成以降過去7回の市長選では最も大きな票差を付けての大勝だった。

 當銘氏が出馬を表明する以前から、現市政への不満は高まっていた。「市場も新しくなり、市民会館もできる。実績は否定しない」と評価する一方、「肝心なときに市民に直接納得がいく説明がなかった」「経済政策は強いが子育て施策に冷たい印象がある」との声がもれ伝わった。認定こども園の民営化問題では、在園児らに影響が出ないよう民営化の時期を遅らせるよう求める声があったが、1年の延長にとどまった。千葉県野田市で虐待死した栗原心愛さんの糸満市在住時の対応については、市長として上原氏が公の場で経過説明などをすることはなく、市民の現市政への不信感があったとみられる。

 さらに20人中「14人の市議が支持していた」はずが、一枚岩になりきれなかった。ほとんど活動していなかった市議もいた。一部の議員の対応は、當銘氏も見通していた。就任後の議会について「与党少数、とはならないのではないか」と自信をのぞかせるほどだ。

 上原氏は市内最大規模の門中の出身であるが、門中の支持も十分ではなかった。

 7日夜、落選の敗因について上原氏は「誹謗(ひぼう)中傷やデマがあり、打ち消すことができなかった」と分析。「中傷ビラ」が投票にどの程度影響したか不明だが、市民の不満を解消できず、當銘氏がその「受け皿」として票を伸ばすことにつながった。

 一方當銘氏は、地元兼城地域では知られた存在だった。3人の子のPTA活動をきっかけに、子どもたちの卒業後も地域活動を継続。保護者らから厚い信頼を得ていた。

 限定的だった知名度を全市へ浸透させた陰の功労者が、幼い頃から當銘氏を慕ってきた若者たちの自発的な動きだ。動画やチラシを作り、SNSなどを通じて積極的にアピールした。

 選挙のベテランを参謀に抱えたのも奏功。ある幹部は「票田の西崎は、旧糸満町出身の若者が多い。まずは親世代のいる糸満から重点的に入る」と狙いを定めた。その旧糸満町で奮闘したのが前市長の上原裕常氏(71)。裕常氏は2期務め、前回の市長選で上原氏に敗北した。自身の出身地で上原氏の地盤でもある糸満で票を固めた。

 6日、阿波根交差点での打ち上げ式には200人以上が集まった。通り過ぎる車から何度も応援のクラクションが鳴り、勝利を感じさせる勢いを見せた。真っ黒に日焼けした當銘氏、裕常氏の手応えが、自信に変わった。
 (嘉数陽)