興南の嘉陽拓は、もともと右上手投げの投手。だが同じ右腕に長身の本格派、比嘉雄大、友利結がいた。比屋根吉信監督が大学、社会人で下手投げの投手として活躍したこともあり、嘉陽は器用さと体の柔軟さを見込まれ、下手投げに転向した。
決勝まで比屋根監督の「点を取られなければ、投手は完投しなくても良い」との考えから友利、比嘉、嘉陽、左の西岡洋の4投手の継投で勝ち上がった興南。中継ぎで4回しか投げていなかった嘉陽は、交代を告げられると「無我夢中。とにかく後につなぐつもりで」四回表のマウンドに向かった。
先頭は沖縄水産の4番吉永靖。2点を先行され、これ以上は失点は許されない。緊張で「足が地に着かず、浮いた感じだった」という嘉陽はストライクが入らず、ストレートの四球を与える。続く5番金城和彦は犠打を決めて一死二塁。だが一つアウトを取ったことで嘉陽は落ち着きを取り戻す。6、7番を三振、内野フライに打ち取り波に乗った。
嘉陽は直球、カーブ、シュート、シンカーの多彩な球種と、一球ごと投球動作に緩急をつける投げ方で沖水打線を翻弄(ほんろう)。名幸一明捕手の好リードで下手投げ特有の高めの直球をうまく使い、九回までフライアウト11、被安打2、失点0。三塁を踏ませない投球で、嘉陽は「沖水打線は怖くなかった」と話す、“快刀乱麻”の投球を見せた。
前日の準決勝で13奪三振、1安打完封の快投を演じた沖水のエース・上原晃だが、5連投となる決勝で疲労はピークに達していた。真っすぐが走らない。バットを短く持って打席に立つ興南打線は上原の速球に狙いを絞り、沖水を一つ上回る6安打を放った。
マスクをかぶる吉永は「かわしていこう」と当時覚えたてのスライダーを多投させた。「丁寧に低めに投げることだけを考えた」上原は、三振3と今までで一番少なかったが、内野ゴロ11、四死球0。いつもは強気に剛速球でねじ伏せる上原が、細心の投球を見せて要所を抑えた。
「逆転してくれる」と信じる嘉陽と、「絶対点をやらない」と気迫の上原の緊迫した投げ合いは、最後まで続いた。
最終回、興南最後の打者が二塁ゴロに倒れると、上原はマウンド上でガッツポーズ。嘉陽はベンチ横でぼうぜんとしながら、喜び合う沖水ナインを見つめていた。
2―1。沖水が序盤の得点でそのまま逃げ切り、春夏連続、夏の大会3連覇を果たして甲子園出場を決めた。
4年連続、決勝を戦った沖水と興南。優秀な選手が甲子園出場を目標に両校へ集い、県内では突出した実力校同士の対戦だった。この間、両校から7人がプロ野球に進み、多数の選手が県外の社会人、大学野球で活躍。沖水・栽、興南・比屋根両監督とも、やり方こそ違うが「最強のチーム」を目指し、全国を狙えるチームづくりの結果だった。
2強時代。互いにライバルと認め合い、甲子園を懸けて闘争心むき出しで戦った。県高校野球のレベルを確実に高め、甲子園でも勝ち残る実力をつける土台となった。 (敬称略)
(「興南―沖縄水産」おわり)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◇第68回全国高校野球選手権沖縄大会(1986年7月21日、奥武山野球場)
▽決勝
沖縄水産
101000000│2
000100000│1
興南
(沖)上原晃―吉永靖
(興)比嘉雄大、嘉陽拓―名幸一明
………………………………………………………………
2005年の連載を再掲載しています