『新編 つぶやきの政治思想』 地域超えた同時代の創出


社会
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『新編 つぶやきの政治思想』李静和著 岩波書店・1056円

 1998年に旧版が出た『つぶやきの政治思想』は、尹東柱論を含む思想書であるが、表題作「つぶやきの政治思想」は、歴史に沈み込むことに対して激しくあるいは静かに抗(あらが)う「個」を、「べー(おなか、舟)」という朝鮮語を中心に、まさにつぶやくような言葉で探り続けるものでもあった。

 新編においても、歴史や権力と絡み合う個を、秘密を抱えて生きるその生を、つぶやくように、つまりは要約や解釈を慎重に遠ざけて探ろうとする著者・李静和(イヂョンファ)の試みは、大切なままである。とりわけ日本軍「慰安婦」と呼ばれる女性たちの生をそのようにして探ろうとしていることは、今なお私たちに重要な視座を与える。

 戦時性暴力の被害者、李容洙(イヨンス)さんの昨今の発言、「慰安婦」とされた女性たちを支えてきた人権団体は自分たち被害者を利用しただけだという言葉が、韓国に大きな動揺をもたらしている。日本のメディアも、彼女の発言を利用する韓国保守系新聞の記事を配信することで、日本の戦争犯罪が根本にあることを見えなくしている。

 李容洙さんにも誤解はある。だが私たちは、その発言を都合よく切り取り解釈するのではなく、まずは彼女の感情を抱きとることから始めるしかない。30年以上も運動の前面に立ち続けた李さんが実は何に憤り、絶望しているのか。それとともに私たちは、「慰安婦」とされた女性たちをどのようなイメージの下に置き続けてきたのかも振り返る必要がある。あの感情の発露は、「慰安婦問題」の「真なる解決」を望みつつも、しかし彼女たちを固定的なまなざしで見ていた私たちに対する抗いだったかもしれないのである。

 本書での個々の生に触れようとする試みは、個に向かうまなざしの問い直しと、彼女たちが「生きる場」の浮き上げの求めにもなっている。さらに、新編で入った崎山多美の応答、宮古島で「慰安婦」を見たという母の証言を読むならば、場と場が繋(つな)げられ、地域や特定の歴史を超えた同時代の創出を私たちは目撃することになる。私たちの視線を問い、個を迎え入れるための必読の書である。

(呉世宗(オセジョン)・琉球大学教員)

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 い・ぢょんふぁ 韓国済州島生まれ。1988年に来日した。成蹊大学法学部教授。著書に『求めの政治学―言葉・這い舞う島』(岩波書店)、『残傷の音―「アジア・政治・アート」の未来へ』(編者、岩波書店)ほか。