「自粛警察」戦前と酷似 使命感と強制「従うことだけ要求された」 沖縄戦75年


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軍国少年時代を振り返り「多様な人たちが共に生きるには、誰もが自分で考え、判断することが重要だ」と話す平良修さん=8日、宜野湾市内

 牧師の平良修さん(88)=沖縄市=は、政府が「国民精神総動員」を掲げ、異論を許さなかった75年前を今でも覚えている。当時、正直な気持ちを簡単に口に出せなかった。新型コロナウイルス感染防止の対策が進む半面で、他者と異なる行動を許さず、厳しく追及する現在の空気が、平良さんの中で75年前と重なる。

 軍国主義の時代、宮古島で暮らしていた平良さんの町内会では運動会も軍事訓練さながらだった。焼夷(しょうい)弾による火事を想定し、消火のための砂袋を担いで走る種目があった。町内会長だった平良さんの父真宜(しんぎ)さんは50歳を過ぎていたが、砂袋を肩に乗せ、農業などで鍛えた若者たちに先を越されまいと、すさまじい形相で息を切らしていた。

 日本は誇らしい戦争をしており、どんなに苦しくても最後には勝つと教え込まれた。「それを正しいと信じれば使命感や喜びを感じられ、自分自身が救われる。強制されるだけでなく、自分たちの中からそう信じたいと思う部分もあったのだろう」。そんな軍国少年にとって父の姿は日本人として誇らしかった。

 一方で無理をして苦しむ父を哀れみ、平良さんの心には強烈に悲しい記憶として刻まれた。だが当時は、正直な気持ちを口にすることもできなかった。

 新型コロナの感染が拡大した4~5月。国や県は感染拡大防止のため外出の自粛を要請した。休業補償も不十分な中、やむなく営業する店舗に対し「警察に通報する」などのメッセージを張り付ける「自粛警察」が全国的に話題となった。営業を続ける県内の店舗を、名指しで非難する声が琉球新報にも寄せられた。

 沖縄戦を研究する石原昌家さん(沖縄国際大名誉教授)は「病気と戦争は違う」と前置きする。その上で「使命感を持って他者の権利を侵害する思考回路は、外国帰りの隣人をスパイ視した戦前と共通する」と警鐘を鳴らした。

 現在は牧師として平和や人権を追求する平良さん。「魂の自由な発露は許されず、従うことだけを要求された」と戦時中の記憶を振り返る。価値観や立場も多様な人々が共に生きる社会へ「自分で考え、判断できるようにならなくてはいけない」と訴えた。
 (黒田華)