島田知事「この子たちは守る」父に伝えていた 沖縄戦前に家事係の姉妹


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 【国頭】沖縄戦当時、最後の官選知事だった島田叡(あきら)知事を語り継ぐ島田叡氏事跡顕彰期成会の嘉数昇明会長らが16日、知事官舎で家事係を務めた崎浜千代さん(94)=旧姓・知花、国頭村=を訪ね、妹の新島ユキさん(84)ら親族と一緒に面会した。新島さんらによると、前任の泉守紀知事の時から官舎で家事係をしていた崎浜さんと四つ下の次女セツさんについて、島田知事が「引き続き世話係をお願いしたい。この子たちは守ります」と同村辺土名の実家の父、知花新光さんに伝えていた。

島田叡知事との思い出を語る崎浜千代さんを囲む島田叡氏事跡顕彰期成会の嘉数昇明会長(前列左)、島守の会理事の伊野波進さん(前列右)、妹の新島ユキさん(後列中央)、めいの名渡山よし乃さん(後列左)、新島美奈子さん=16日、国頭村辺土名

 新島さんによると、1945年の初めごろ、県の公用車が辺土名に来た。父親や次女のセツさんらが生前話していた内容として、島田知事か県庁職員のどちらかは記憶していないというが、島田知事が「この子たちは守る」と伝えていたことは鮮明に覚えているという。

 嘉数会長は「島田知事も同じ年頃の娘たちと離れて沖縄に来ていたので、千代さんたちを実の娘のように感じていたのだろう。無事に生き残った2人のことを天国から見守っていたと思う」と話した。

 千代さんは「島田知事はいつも私たちを気に掛けてくれた。ご飯を用意したが、壕に避難しないといけなくなって召し上がらなかった」と記憶を手繰り寄せるように話した。

 千代さんら姉妹は45年4月の米軍の沖縄本島への上陸後、島田知事や官舎の職員らと共に首里の与儀医院壕、当時の真和志村繁多川の那覇署・真和志村役場壕、真地の県庁・警察部壕を転々とした。那覇署壕を最後に島田知事と別行動となった。島田知事は45年6月に摩文仁(糸満市)で死亡したとされる。

 嘉数会長は千代さんが島田知事から歌を教わったという本紙報道を見て、千代さんに面談を申し入れた。面談には島田知事と最期まで行動を共にした、荒井退造県警察部長の部下で警防課長だった伊野波盛和さんの息子の進さん(83)も同席した。

(松堂秀樹)