平和への願いや反戦の思いは、若い世代に引き継がれている。沖縄戦体験者の思いを受け止め、過去の沖縄全戦没者追悼式で自作の詩を力強く朗読した若者がいる。皆が笑い合える社会を望む気持ちを、詩に込めた児童がいる。沖縄戦から75年がたった。明るい将来を願う3人に話を聞いた。
「ひいおばあちゃんから沖縄戦の体験を聞いていなかったら、私も戦争や沖縄に残っている問題を知ろうとは思わなかったはず」
2018年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で、平和の詩として自作の「生きる」を朗読した相良倫子さん=開邦高2年。2年が過ぎ、改めて沖縄戦の勉強を始めている。
「沖縄戦を知ることは若い人たちが将来、正しい選択をするためのきっかけになる」と同世代へ呼び掛ける。
「生きる」は96歳の曽祖母の語った話を基に、戦火に命や家族を奪われた人々を思い「みんな、生きていたのだ。/わたしと変わらない、/懸命に生きる命だったのだ」とつづった。
詩の反響は大きく、中学校には数箱分の手紙が届いた。初めは家族も動員して礼状を書いたが、受験勉強もあり、あきらめた。「感謝の気持ちは今でも伝えたい」と話す。
数多くの取材を受けた際、沖縄戦や在沖米軍基地問題について答えられず「能動的に学んで、考えを深めたい。自分の意見を言えるようになりたい」と思った。
コロナ禍で休校になった際、沖縄戦を学びたいと考え、祖父母に電話で話を聞いた。まじめで親孝行だった曽祖母は戦後、女手一つで子どもを育てた。曽祖母の歩んだ道を通して沖縄の歴史を学んでいる。「学ぶことは未来をつくること。私が歴史に向き合って学べば周りにも伝わり、もっと下の世代にも受け継がれていくと思う」。平和の礎で戦没者の名前を追いつつ、まっすぐな瞳で語った。 (島洋子)