75年前の知事官舎の出会い再現 戦時中の知事秘書官・嘉数さん長女と官舎勤務の崎浜さん 「嘉数さんに似ているさ」


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 沖縄戦当時、知事官舎で家事係を務めた崎浜千代さん(94)=旧姓・知花、国頭村=が25日、最後の官選知事だった島田叡知事の秘書官を務めた徳田(旧姓・嘉数)安全さんの長女、石田典子さん(76)=那覇市=と対面した。当時1歳の石田さんに記憶はないが、知事官舎を訪れたことがある。75年ぶりの“再会”に崎浜さんは「嘉数さんに似ているさ」と目を見開いて笑った。

75年ぶりの“再会”を喜ぶ(右から)崎浜千代さん、石田典子さん=25日午後、国頭村辺土名

 当時28歳の安全さんは島田知事の秘書官を務め、沖縄戦で島田知事と行動を共にした。石田さんに当時の記憶はないが、安全さんや母の富子さん(100)と一緒に知事官舎を訪問したことを富子さんに教えてもらったという。

 崎浜さんは四つ下の次女セツさんと一緒に官舎で働いていた。官舎では食事を作ったが「何を作ったか覚えていない」。1944年10月10日の10・10空襲当時は前任の泉守紀知事らと共に中城地方事務所が置かれた普天間権現の洞くつに避難した。

 45年3月の米軍による大規模空襲後、島田知事は首里の与儀医院壕、その後真和志村繁多川の那覇署・真和志村役場壕(新壕)に移った。安全さんや崎浜さんも同行した。崎浜さんは「みんながいつも私たちを守ってくれた」と当時を思い起こした。

 戦況の悪化で島田知事らは南部へ避難することになる。崎浜さんは途中で島田知事から餞別(せんべつ)に白い万年筆を渡されて別行動になったため、島田知事の最期は見ていない。

 崎浜さんと安全さんは沖縄戦を生き延びた。戦後も琉球政府で働いた安全さんは崎浜さんの身を案じ、国頭村辺土名まで会いに来たという。崎浜さんは「嘉数さんは(体格が)がっちりしていた。『元気ね』と言われたよ」と振り返った。

 75年も前のことで崎浜さんの記憶もおぼろげな部分がある。そこで石田さんは富子さんに教えてもらった「官舎ではクーブイリチーなんかを小鉢に入れて『日本風』にしていた」ことを伝えると、崎浜さんはうれしそうに目を細めた。

(仲村良太)