沖縄「平和宣言」誰のもの? 知事と県職員だけで作成 広島・長崎では市民参加


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
平和宣言を読み上げる玉城デニー知事=6月23日午後、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 6月23日の慰霊の日に玉城デニー知事が読み上げた平和宣言。那覇市内に住む読者から「平和宣言は誰がつくっているのか。平和行政が空洞化していないか」との疑問が寄せられた。調べてみると、1990年から3年間だけ平和宣言の案を作る検討委員会が設置されたが、その後は「知事の政治姿勢も盛り込むべきだ」との方針で案は県職員が作成することになった。広島市や長崎市では平和宣言を市民と共に作り、被爆者や戦争体験者の声を盛り込んでいる。識者は「平和宣言は県民目線であるべきだ」と指摘する。

 県子ども生活福祉部女性力・平和推進課によると、平和宣言は執行部である県職員が案を作成し、三役との調整を経て最終的に知事が内容を決める。追悼式で平和宣言の読み上げが始まった77年から89年まで、現在と同様に県職員が案を作成していた。戦後45年にあたる90年、西銘順治県政で平和宣言案の検討委員会が立ち上がった。なぜこの年に検討委員会が立ち上がったかについて県は「設置要綱などが残っておらず分からない」とする。

 一般の県民や有識者らから意見を持ち寄ったのは、この年が初めてだった。行政だけでなく学識経験者や遺族連合会、県内マスコミが委員を務めた。ただ、委員会が開かれたのはたった3年間だけ。93年には「知事の政治姿勢を盛り込むべきではないかといった声が上がった」(女性力・平和推進課)として、従来通り県職員が起案する方針に変わった。その方針が現在も続いている。

    ◇    ◇    ◇

 ことしの慰霊の日は、原爆投下のあった広島、長崎の両市長からビデオメッセージが届いた。広島では8月6日、長崎では9日に市長による「平和宣言」が行われる。両市の平和宣言は、市長自らが表に出て案を考え、市民と一緒に作り上げる。

 長崎市では毎年、被爆者や被爆2世のほか核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)や若い学生らを交えた起草委員会が立ち上がる。田上富久市長が委員長を務め、市民から意見を聞き平和宣言を練り上げていく。国連で核兵器禁止条約が成立し日本政府が条約不参加を表明した2017年には、平和宣言で「日本政府に訴えます」として「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と踏み込んだメッセージを伝えた。

 広島市も同様、被爆者を交えた「平和宣言に関する懇談会」が4月から毎月行われ、松井一実市長が座長を務める。松井市長が就任した11年、市は被爆体験者の証言を公募。集まった証言を平和宣言に盛り込み、昨年は公募と別の被爆体験記を盛り込むなどして、戦争の悲惨さを市民目線で訴えている。

 92年の県の平和宣言案検討委員会で委員を務めた沖縄女性史研究家の宮城晴美さんは県の平和行政について「沖縄戦の実態や歴史背景を知らない人たちで机上の空論になっていないか。沖縄全戦没者追悼式の開催場所として国立墓苑が検討されたことにもつながる」と課題を挙げ「平和宣言は県民目線であるべきだ」と指摘した。
 (阪口彩子)