福島・相馬の誘導標、9年漂流し中城に 出身の看護師「震災継承を」


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「相馬市」と書かれたポールを手に、震災の恐ろしさの次世代継承を願う荒聡美さん=6月22日、中城村役場

 【中城】福島県相馬市の道路に設置されている「視線誘導標」のポールが6月8日、沖縄県中城村南浜の海岸で見つかった。2011年3月11日の東日本大震災の津波で流されたとみられる。ポールは村が引き取り、小学生などへの防災教育で活用する。6月22日に村を訪れポールに触れた相馬市出身の看護師・荒(あら)聡美さん(40)=豊見城市=は震災の恐ろしさが次世代へ継承されることを願った。

 視線誘導標は、道路上で道の形などを示す役割がある。発見されたポールは高さ約150センチで直径は約10センチ、上部に反射板が付いている。黒かったとみられる文字はほぼ剥がれているが、「相馬市」と書かれているのが確認できる。

 16年6月に福島県が発表したまとめによると、相馬市では震災で497人が死傷し、住宅5234棟が全壊や半壊、一部損壊した。

 震災時は内陸の宮城県栗原市にいた荒さん。相馬市の同級生や知人らは津波で流されて亡くなり、慣れ親しんだ地域は一変した。4年前に沖縄へ移り住み、村内でポールが発見されたニュースに触れ当時を思い出し感極まったという。

 居ても立ってもいられず村に問い合わせ、実物を目にした。ポールの写真を撮り「忘れていた思いがこみ上げてくる。地元に帰り、亡くなった人に改めて線香を上げたい」と語った。「震災は時間がたつと忘れてしまう。定期的に子どもたちへ、地震が来た時の対応なども伝えてほしい」と村に要望した。

 ポールは、中城村南浜に本社があるビニールハウスメーカーの三和アグリテクノ社員が、海岸清掃時に見つけた。同社の髙山健太郎社長(42)は「驚いたが、ポールと一緒に人が流されたかもしれず、手を合わせた。津波は身近なもので、震災を知らない子どもたちは常に意識した行動を心掛けてほしい」と話した。