【北部】沖縄本島北部に「オランダ」の名称が付く「オランダ墓」や「オランダ森緑地公園」があるが、いずれも米国やフランスなどに関係するもので、オランダ本国とは直接接点はない。江戸時代、日本が交易していた外国がオランダだけだったことから、その影響で琉球でも西洋を「ウランダ」としていた。さらに西洋人を総称して「ウランダー」と呼び、その後に「オランダ」と日本語訳され正式名称になったという。
琉球諸語に詳しいオランダ人研究者のハイス・ファン=デル=ルベさん(38)は「当時の人たちが付けた名称を尊重するなら、『オランダ墓』などと和訳するのではなく、『ウランダー墓』とすべきではないか」と指摘している。
金武町の「オランダ森緑地公園」は、米国のペリー艦隊が1853年、内陸や沿岸の探検などのため野営した丘があった場所だ。当時の人たちが「ウランダムイ(オランダ森)」と名付けた。同公園を管理する金武町建設課は「地域で呼ばれていた名称で登録した。名称を変える予定はない」としている。
国頭村宜名真にある「オランダ墓」は、1872年に英国商船「ベナレス号」が宜名真沖で座礁・沈没し、漂着した4人の船員の遺体を埋葬した。ベナレス号を調査・研究した沖縄国際大学准教授の宮城弘樹氏は「ウランダー=欧米人という認識なので、当時の人々にとってオランダは現在の国名のオランダという地域認識ではなかったものと思われる」と指摘した。
一方、琉球王国との交易交渉のため1846年に現在の今帰仁村にある運天港に来航したフランス艦隊の乗組員2人の墓は、名護市が「オランダ墓」から、2016年に元々の名称だった「ウランダー墓」に戻した。屋我地島運天原地先にあるウランダー墓は市指定文化財に指定されており、名護市教育委員会は「地元の人たちが呼んでいた名称を継承していきたい」としている。
オランダ出身のハイスさんは「私のような白人は今では『アメリカー』と呼ばれるが、オランダ人なのであまりいい気がしない。だが、当時の琉球は西洋のことを『ウランダ』と呼んでいたため、琉球語を継承する上でその総称をそのまま残すことは問題ない」と述べた。一方、オランダ人を指す「ウランダー」については「地名の後に語尾を伸ばすと『〇〇野郎』のような意味になってしまう。『ウチナーンチュ』のように語尾を『チュ』とすればより丁寧になる」と述べ、「ウランダンチュ」の呼称を希望した。
(松堂秀樹)