対馬丸と船団の暁空丸、乗船疎開団の名簿発見 熊本で作成、神奈川県の石川さんがうるま市寄贈


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 斎藤 学
今回見つかった具志川国民学校の第1次疎開団の名簿=6月、うるま市の石川歴史民俗資料館

 【うるま】1944年8月、疎開の学童らを乗せた対馬丸と船団を組み、ともに那覇港を出港した暁空(ぎょうくう)丸。対馬丸は米潜水艦に撃沈され1500人近くが犠牲となったが、暁空丸は攻撃を避けながら、無事長崎県にたどり着いた。このほど、暁空丸に乗船した具志川国民学校の第1次疎開団の名簿が見つかった。うるま市市史編さん係によると、疎開時の名簿が見つかるのは極めて珍しいという。

 神奈川県の石川明子さんから、うるま市の石川歴史民俗資料館へ提供があった。熊本県の温泉旅館「旭館」滞在時に作成された名簿で、石川さんの祖父が旅館を経営していた。

 名簿には同校の生徒や引率者、世話人の氏名が記載されている。一同は長崎に着いた後、熊本へ行き、旅館に泊まった。具志川市史によると、旭館では9~10カ月滞在した。戦局が一段と悪化する中、45年6月には別の疎開地へ移った。そこで沖縄の状況を知らされ、みんな泣いたという。

 集合写真は旭館前で撮影された。今回見つかった名簿の生徒らが写っている。元々うるま市市史編さん係が所蔵している。撮影時期は45年1月ごろとみられ、具志川市史第5巻にも掲載されている。名簿が見つかり、市文化財課の國吉康孝主任主事は「貴重な資料が発見された。保存状態もいい」と話した。

 具志川市史には、具志川国民学校の生徒はいったん対馬丸に乗船したが、満員で別の船に乗るように言われ、暁空丸へ乗り換えたと数人が語ったとの記載がある。名簿と写真のコピーは、石川歴史民俗資料館で開催中の平和資料展で展示している。入場無料。(砂川博範)