首里城と共に消失した幻の舞台「組踊300年公演」 火災前夜、準備の様子を振り返る


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
首里城正殿

 昨年の11月2、3日、組踊上演300周年を記念した公演が、那覇市の首里城御庭で予定されていた。御庭では10月28日から、舞台技術業者が公演に向けて会場設営を始めていた。数百年に一度の記念公演成功に向けて、約60人の舞台技術業者が力を尽くし、31日深夜には会場の準備を完了させた。しかし、完了後間もなく首里城が焼失し、渾身(こんしん)の舞台も実演家が踏むことなく失われた。幻の舞台の設営風景を関係者に取材した。

 会場設営は28~30日までの間、連日首里城の有料区域が閉場した午後7時ごろから行われた。ミーティングを経て、首里城公園を管理する財団職員立ち会いの下、施設を傷つけないよう細心の注意を払い機材の運び込みが始まる。作業は、手持ちのLED照明の下で実施された。

 舞台は首里城正殿前という地の利を生かし、可能な限り組踊が上演された300年前に近いものの再現に努めた。90センチの角材を連結させ約8メートル四方の舞台を作り、下手後方の橋掛かりには演者が出入りする御幕(おまく)を設置した。舞台設営は、字幕を映し出す装置の設置なども含めて、28日から30日までかかった。

 字幕映像の確認のため、29日には首里城の電源を用いた作業が初めて行われた。電気を用いる際には、財団職員の確認を経て、イベント用に使われる奉神門横の電源から御庭内に設置した電源ボックスに通電してもらった。

 30日には、舞台設営の仕上げと音響や照明をテストした。御庭に響くような音、首里城の朱色を生かした明かり―。舞台技術者のこだわりが次第に形成されていった。31日午前0時、作業を終えた技術者は、御庭内に設置した電源ボックスのブレーカーを切った後、財団職員に大本となる奉神門横のブレーカーを切ってもらったという。電源ボックスが通電していないことを確認し、雨に濡れないよう養生。約1時間後、くぎなどが落ちていないか見て回り、御庭を後にした。

 舞台技術業者が去ってから数時間後、首里城火災が発生。沖縄総合事務局が2月に公開した防犯カメラの映像には、首里城正殿内の発光現象や警備員が正殿内に駆け込む姿が写っていた。那覇市消防は、目撃情報などから火元は正殿1階北東側とみて調査してきたが、現場の焼損が激しく物証は見つけられなかった。そのため那覇市消防は3月、首里城火災の「出火原因は不明」と結論付けた。

 設営に関わった舞台技術者は「安全に準備も本番も進むよう、確認に確認を重ねて作業をする。あくまで自分たちは裏方。出演者が動きやすい舞台を作り、演者が立った舞台を見たお客さんに、どうすれば感動してもらえるか常に考える」と力を込めた。

 代替公演が今年2月、同公園の首里杜館前芝生広場で復興祈念も兼ねて行われた。
 組踊上演300周年記念公演に関わる舞台技術業者は、正殿から電源は一切取らず、正殿内に入ることもなかった。しかし、火災直前まで御庭で作業をしていたため、火災との関連を疑われ、風評被害を受けた。また、火災で焼失した機材3500万円分の補償も受けられずにいる。