『図説 首里城の創建者 初代「琉球国中山王察度」』 察度の生の実像を紡ぐ


社会
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『図説 首里城の創建者 初代「琉球国中山王察度」』下地昭榮著 新星出版・1980円

 先に触れておくが本書は学術書ではない。著者も歴史学を専門としている研究者でもない、市井の研究者である。よって本書は歴史学の正式な手続きを踏んだ考察ではない読み物としての側面が強い。が、妙に引き込まれる要素が多く見受けられる。とりわけ、それを強く感じるのが考古学の最新成果を含み込んだ形での歴史叙述が所々に散(ち)りばめられている点にある。

 従来までのこの類の本は古典的な歴史書を引いて、それをトレースした内容が多分に見られた。新たな考古学の成果と矛盾するような内容についても俎上(そじょう)に上げることなく、脚本に沿った綺麗(きれい)な歴史叙述に終始していた。

 1947年、静岡県の登呂遺跡発掘調査で広大な水田跡や竪穴式住居、高床式の倉庫跡がまとまって発掘され、その成果は戦前までの日本建国神話から脱却するかのように弥生時代のイメージを鮮明にさせた。と同時に、考古学は歴史科学としての強みを十分に発揮させ、神話に代わる新たな日本の古代史像を太平洋戦争後、構築していくこととなる。この登呂遺跡での調査成果は戦後における、科学としての歴史学が考古学の成果から導き出された象徴的な出来事であったと言える。近世以前の琉球史研究において『中山世鑑』、『中山世譜』、『球陽』といった史書は重要な典拠史料として位置付けられている。

 一方で、沖縄県内各地の遺跡から出土する資料においても同等の重要性を有していると言える。本書はその理解を踏まえているのは言うまでもないが、考古資料と文献資料双方のバランスを取りながら、筆者なりの歴史的見解を導き出そうとしている。見解が正しいのか誤っているのかという二者択一的な見方ではなく、察度が生きた時代の実像を何とかして紡ぎ出そうとしている筆者の苦闘を行間に感じ取れるところに本書の真価がある。今後における琉球の歴史が本書のようなスタンスで叙述されていけば、科学的でありながら様々(さまざま)な可能性が考えられる歴史考察と著者の人間味が垣間見れる歴史像が多く編み出されていくものと思われる。

 (山本正昭 県立博物館・美術館主任学芸員)

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 しもじ・あきよし 1937年平良市(現宮古島市)生まれ。60年から県内小学校の教諭を歴任。98年3月宜野湾小学校校長で定年退職。2007年に「宜野湾市文化財ガイドの会」設立。著書に「世界にはばたけ! ねたての黄金察度王」。