米統治下の1966年、沖縄側で係争中だった裁判に対し、米軍が米側への裁判移送を命じた事件について、沖縄側の裁判官らが連名で作成した抗議文の原本を、沖縄テレビ(OTV)の取材班が突き止めた。OTVによると、連名した元裁判官の一人、上原吉勝さんが埼玉県の自宅で保管していた。見つかった原本は66年6月20日付で、「全琉巡回・治安裁判所裁判官」の31人の連名となっている。
当時、「裁判移送事件」に対する抗議文を起案した元裁判官の比嘉正幸さん(86)は「裁判官が権力に物申す。いまの日本の司法ではありえない」と強調した。
沖縄側の琉球裁判所で争われていたのは、サンマ輸入業者が琉球政府を相手に税金の還付を求めた「サンマ裁判」と、65年11月の第7回立法院議員選挙における参政権などが争点となった「友利裁判」。