1966年の「裁判移送事件」 見つかった抗議文原本 米軍に対し「住民自治への侵害」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
結審した「サンマ裁判」上告審=1967年12月4日、民政府裁判所

 米統治下の1966年、米軍が沖縄の住民から裁判権や自治権を取り上げる事態となった「裁判移送事件」について、沖縄側の裁判官ら31人が連名で作成した抗議文の原本が見つかった。抗議文は「聲明(せいめい)」と題し、「住民の司法自治に対する侵害であって不当な措置」と批判し、移送命令の撤回を求めている。

 当時の米軍トップ、ワトソン高等弁務官(当時)は「琉球政府裁判所が布令の効力を審査し、無効とするのは米国の安全、財産などに重大な影響をもたらす」との理由で移送を命じていた。沖縄テレビの取材班によると、抗議原本は二つあり、一つは米国民政府に提出された。提出の際は裁判官38人の連名だった。もう1つを元裁判官の上原吉勝さんが埼玉県の自宅で保管していた。

 OTVは今年2月に放送した民教協スペシャル「サンマデモクラシー」で裁判移送事件を取り上げた。4月、家族から原本が見つかったと連絡があったという。移送命令の対象となったのは「サンマ裁判」と、65年11月の第7回立法院議員選挙における参政権などが争点となった「友利裁判」。

 起草した元裁判官の比嘉正幸さん(86)は本紙の取材に対し「沖縄の人は日本国民ではなかった時代があり、そのときの記録連絡を将来のためにきちんと残すべきだ」と強調した。現在、OTVが原本を預かっており、今後比嘉さんと共に県公文書館に寄贈する予定。