『眉の清らさぞ 神の島 上野英信の沖縄』 移民史の先に描かれる沖縄


社会
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『眉の清らさぞ 神の島 上野英信の沖縄』三木健著 一葉社・1980円

 本書を開くと上野英信とその作品『眉屋私記』が生み出した熱気の渦が思い出される。1985年のことだ。筑豊の記録作家上野英信と沖縄のジャーナリスト三木健の出会いはそれより10年ほど前、76年に三木が私家版『西表炭鉱概史』を上野に贈呈したことである。「上野と沖縄を結び付けた必然性」が鮮明になるのはさらに南米移民との出会いがあった。エネルギー政策で閉山の果てに移民に押し出された元炭鉱夫を訪ねた南米で上野は沖縄移民にも出会う。

 その後に三木が送った山入端萬栄の『わが移民記』が作家魂に火を点(つ)けた。こうして国家政策の下で苦難の道を歩む炭鉱夫、移民、沖縄の民衆が一本に措定されていく。その後の上野と三木・沖縄との間で綯(な)い合わされていく太く厚い交流はこれら「三つのモーメント」で埋められていくことが本書には綴(つづ)られている。

 メキシコ炭坑移民や辻遊郭を描いた上野の『眉屋私記』を戦前編とするなら本書は戦後編の様相を思わせる。病床の上野や妻晴子の闘病、両者の早すぎる死、上野の一周忌後に突如米国から現れた『眉屋私記』の主人公山入端萬栄の娘と孫、外国人である彼女らと萬栄の妹ツルとの劇的な出会い、眉屋親族・屋部ムラの人々との交流、那覇と屋部ムラで行われた上野の33年忌の追想。丁寧に綴られた上野生前と死後の沖縄や福岡での出来事を追うと上野が生存しているかのような思いに浸る。

 初めて三木が発掘した仏領ニューカレドニア移民史にも言及、上野が『眉屋私記』を描く参考にした山入端萬栄の手記原本「在外五十有余年ノ後ヲ顧ミテ」も掲載、貴重である。現在三木は「世界ウチナーンチュセンター設置」という移民子孫にとってのムートゥヤー(本家)を母なる沖縄に建てようという支援活動に携わる。このムートゥヤーが日の目をみたとき、さらに屋部の渡波屋に上野文学碑の建立が実現したとき、上野と三木の描いた戦前・戦後は未来へと繋(つな)がれて行くと確信できる。多くの人が本書を手に取ることで文学碑建立に寄与されることを三木は願っているだろう。

(大城道子・移民史研究者)

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 みき・たけし 1940年石垣島生まれ。琉球新報社で編集局長、副社長など歴任。2006年退社。沖縄・ニューカレドニア友好協会顧問。世界ウチナーンチュセンター設置支援委員会共同代表。「眉屋私記」文学碑建立委員会委員。