【南城】終戦後に米軍住宅が建設された中で町づくりを進めた南城市佐敷津波古自治会(髙江洲順達会長)は8日、「津波古の歴史~ノスタルジア津波古を訪ねて~」を開催した。このほど発行されたマップを見ながら歴史をたどった。
新聞報道を見て訪れた南城市玉城船越出身の棚原久さん(65)ら6人が参加した。地元からは90歳の盛根政子さん、桃原康行さん(70)、それに髙江洲会長と書記の嶺井英康さん(62)が終戦後の様子を思い出しながら案内して回った。
那覇市から旧知念村海野の区間で実施されていた「新報那覇マラソン」の国道331号沿いに建てられた15キロ標識をスタートに、大衆浴場「東京湯跡」について髙江洲会長が説明した。「馬天劇場跡」に来ると当時上映された映画や沖縄芝居の話題で盛り上がった。盛根さんは入場券なしで入ろうとして見つかり、すぐ隣の浅瀬の海に飛び込んだという。
馬天は米軍による埋め立て工事が進められ、工事に従事する季節労働者向けの料亭も9、10カ所あったという。近海で取れた鯨を水揚げした解体場跡や、本島内の食糧倉庫に食料を配給していた中央倉庫跡も見て回った。その後、津波古入り口交差点側の「バックナービル入り口」、児童公園内の高台にある「土帝君(トーティクン)」と東御廻(まわ)り休憩所を見学した。髙江洲会長は「新報那覇マラソン15キロ標識に津波古マップを入力したQRコードがあり、スマホで見ながら散策ができる」と話している。
(知花幸栄通信員)