石垣島事件の新写真 篠原さん 資料整理中に発見


石垣島事件の新写真 篠原さん 資料整理中に発見
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 沖縄戦のさなかに起きた石垣島事件で処刑された米兵3人のうち1人の写真が新たに見つかった。石垣市にある慰霊碑建立に携わった琉球大名誉教授の篠原武夫さん(79)=浦添市=が当時の資料を整理する中で“発見”した。終戦から75年。篠原さんは事件を風化させないために「全国の人に知ってほしい」と語る。

 事件が起きたのは太平洋戦争中の1945年4月15日。石垣島上空から市街地を攻撃していた米軍機が日本軍に撃墜され、米兵3人が脱出後、捕まった。3人は日本軍から厳しい尋問や暴行を受けた後、2人は斬首、1人が銃剣で刺殺された。

 事件はかん口令が敷かれたが、敗戦から間もなくしてGHQへの事件告発の投書で発覚。処刑にかかわった46人が戦犯として裁判にかけられ、41人に死刑判決が下り、7人の死刑が執行された。

 石垣出身の篠原さんは八重山の戦争マラリア問題について資料を収集する中で事件の残虐性を知り「犠牲者を慰めないと、悲しみは永遠に続く」と考えた。2000年に星条旗新聞を通じて米側に、石垣市の大浜長照市長(当時)にも日米で協力して慰霊碑を建立するよう働き掛け実現した。

 処刑されたのはバーノン・ローレンス・ティボ中尉=当時(28)、ウォーレン・エイチ・ロイド兵曹=同(24)、ロバート・タグル・ジュニア兵曹=同(20)=の3人。01年8月15日に慰霊碑の除幕式があり、その日に合わせ、遺族から星条旗紙を通じて篠原さんに写真が届いた。

 写真の中にはタグル兵曹の弟から提供された3人の写真があり、その写真はこれまでも公表されていた。写真はもう1枚あり、ティボ中尉の妻から託された中尉の肖像だった。

 篠原さんは当時、ティボ中尉の写真を公開する機会を逸してしまったが「敵、味方関係なく、戦争が残酷なものだと知ることができる。平和を考えるため、全国の人に事件を知ってほしい」と戦後75年に合わせて多くの人に知ってもらおうと思い本紙に託した。

 写真の中のティボ中尉は屈託のない笑顔で真っすぐ見つめる。