【移設先はパルコ近く】40年以上も塩漬け…那覇軍港の歴史


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子

 沖縄戦時に米軍が建設した那覇軍港は日本復帰後の1974年、日米両政府が全面返還で合意した。ただ返還は移設が条件だったため、その後返還計画は長く宙に浮いた。

 95年5月に日米は那覇軍港を浦添ふ頭に移設することを決めた。98年の那覇、浦添の両商工会議所による支持表明を皮切りに、浦添市議会や県議会で移設支持の決議が続いた。99年1月には稲嶺恵一知事が浦添移設を推進すると政府に表明。2カ月後に宮城健一浦添市長が軍民共用を条件に、軍港機能の一部を受け入れる方針を示したが、2000年には全面撤回を表明した。翌01年の市長選では、浦添移設推進と併せた市西海岸の開発を前面に打ち出した儀間光男氏が初当選した。

那覇軍港の移設予定地。奥中央にサンエー浦添西海岸パルコシティ=8月15日正午ごろ、浦添市西洲(小型無人機で撮影)

 その後06年の米軍再編合意で、キャンプ・キンザーを全面返還する代わりに、那覇軍港代替基地に集積場を追加することを決定。09年には軍港移設計画と並行して検討された西海岸開発の埋め立てが開始された。

 一方、13年1月に当時の翁長雄志那覇市長が「移設を待って返還するのは現実的でない」と述べ、移設と分離した形での那覇軍港返還を要求。2月には松本哲治氏が浦添移設に反対し「西海岸開発をゼロベースで見直す」と述べて初当選した。

 しかし、15年4月に松本市長は軍港移設について建設位置の変更を求める一方、移設自体は容認することを表明。17年の選挙では移設容認を掲げて再選した。