米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市移設を巡り、松本哲治浦添市長は18日、軍港代替施設の配置について主張していた南側案を取り下げ、県や那覇市が推す北側案に賛成する意向を示した。18日に県庁で開かれた県と両市の3者トップ会談後、報道陣に語った。3者は軍港の配置について北側案で事実上、合意した。浦添市西海岸を埋め立てて那覇軍港を移設する計画が加速する公算が大きくなった。
一方で移設条件付きの返還は、基地負担の県内での「たらい回し」との見方もある。那覇軍港の代替施設は今後詳細な設計が協議されるが、基地機能の強化につながる恐れも否めない。
松本市長は会談後「これ以上の足踏みは許されないと判断した。沖縄県の発展のため3者が足並みをそろえて大きな一歩を踏み出す時期だと考え、北側への配置を受け入れることにした」と述べた。
玉城デニー知事は「(松本市長が)県全体の振興を図る上で、さまざまな観点から慎重に考えて判断されたことを重く受け止めている」と述べた。
城間幹子那覇市長は「3者で力を合わせてこれからの沖縄発展のために頑張ろうと確認した。今後、那覇軍港の跡地利用を進めていきたい」と話した。
県は、3者会談は意見交換の場だと位置付けている。ただ、南側配置への見直しを求めていた浦添市が譲歩したため、事実上、北側配置の計画でまとまったことになる。
松本哲治市長は北側に軍港を造るとビーチからの景観を損なうことや、埋め立て面積を小さくできることなどを挙げて南側配置への見直しを主張していた。
<用語>那覇軍港移設問題
米軍那覇港湾施設(那覇軍港)は1974年に日米両政府が移設条件付き全面返還で合意したものの、軍港移設の議論が進まずいまだ返還に至っていない。95年には移設先が浦添ふ頭地区と決定され、2001年に当時の儀間光男浦添市長が受け入れを表明した。13年には現市長の松本哲治氏が移設反対を掲げて初当選したが、その後、受け入れに転じた。これまで市は軍港の位置について独自の南側案を提案し、北側案を推す県や那覇市と意見が分かれていた。