急浮上「敵基地攻撃能力」議論がはらむ矛盾 軍事衝突回避へ熟考を<時評2020>佐藤学・沖国大教授


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東京・市ヶ谷の防衛省=2020年3月

 6月15日に河野太郎防衛相が秋田県と山口県に配備予定であった「イージス・アショア」ミサイルシステムの計画停止を発表した際、筆者も含め、沖縄から強い批判が起きた。秋田では、昨年の参議院選挙で配備反対の野党候補が勝った、ただ一度の結果からこの決定に至ったのに対し、沖縄県民が米海兵隊辺野古新基地建設に反対する意思を、長年にわたり繰り返し選挙で示してきたことを、あらゆる手段で圧殺しようとしてきた二重基準は、疑いの余地はない。また、自衛隊の迎撃ミサイル基地とはいえ、実質的に対象は、グアム、ハワイの米軍基地に向かう北朝鮮ミサイルであることは広く知られており、これまでならば、日本独自で決められることではない。その計画停止・破棄を決められるならば、辺野古も止められるだろう、という批判である。

 ■虚偽の説明

 しかし、その後の経緯は、こうした当初の見方を超えた大きな動きの中での決定であったことを示している。計画停止の直接の理由として、ミサイル打ち上げの際に使われる推進用ブースターが、基地の内部に落とせず、その制御を実現するには、10年以上の期間と、2千億円以上の費用がかかるから、ということが挙げられた。地元住民、自治体に、基地内に落とすから安全という、根拠のない虚偽の説明や、秋田魁新報が暴いたでたらめな防衛省資料が示す不誠実さ、そして停止しなければ、その金を使ったであろう愚鈍さは、批判し続けるべきである。

 一方「米国が怒る」「代替策がないまま、このような決定をしたのは、日本の安全保障を揺るがし、防衛大臣が個人的に目立つことを狙った振る舞いであり、無責任だ」といった批判が数多く見られた。

 今、どうだろうか。6月末には、週刊文春が、日本が購入する地上イージスシステムには、ミサイルを誘導する射撃管制能力がない事実を、昨年3月の防衛省報告書が明かしていたとの報道をした。日本が買うイージス・アショアは、迎撃ミサイルを撃てない、というこの件が、その後、追跡されたようにも思えない。

 この時期に並行して、数年間、燻(くすぶ)り続けていた、自衛隊に「敵基地攻撃能力」を備えさせるべき、との議論が、俄(にわ)かに表面化し、8月4日に、自民党政調会が首相に、「国家安全保障戦略」の改定に向けての提言に盛り込んだ。過去の同様の提言は、防衛政策大綱には含まれなかったが、今回は状況が異なる。これまで、敵基地攻撃能力保持に対して、自民党内に慎重論が強く、抑えられてきた経緯があるが、北朝鮮が核ミサイルを保有し、中国があからさまな軍拡姿勢を強化する中、自民党がこれを抑制することは考え難い。また、日本の敵基地攻撃能力保持を、米国が許さないであろう、という戦後安保体制の在り方からの批判も有効であった。米国が矛、日本は盾に限定すべき、という議論である。しかし、トランプ政権が明らかにした、米国の軍事同盟からの引き揚げ志向と、他方で激化している「対中新冷戦」の構築が、自民党や、内閣だけでなく、日本国民にも、この政策を受け容れる土壌整備をしてきた。日本も矛を持たねば国土を守れない、という主張は、相当広く浸透しているのではないか。 この議論がおかしいのは、そもそもの韓非子「矛盾」の故事に戻って考えれば自明である。今、脅威(きょうい)の高まりが言われているのは、北朝鮮の核ミサイルと、中国が持つ大量の中距離ミサイルが日本を狙っているからだとの主張である。それは確かであろう。

 ■米国にとって「願ったり」

 しかし、現時点で、独自に軍事的に守る能力がない自衛隊が、これから敵基地攻撃能力を備え、「敵」が日本への攻撃を仕掛ける時点を察知して、日本に向かうミサイル発射基地を叩(たた)くことで、安全保障を確保する、というのである。既に何年もの遅れがある日本が、その能力を備える間、「敵」は待ってくれるわけではない。今、既に超高速滑空弾や、進路を変えることが可能な巡航ミサイル等、これまでの技術では迎撃困難な兵器が開発されている。「敵」は、日本がそれらの発射基地を叩(たた)くのを、待つのか?

 軍事的な安全保障を追求すれば、まさしく「矛盾」に陥る。そして、その能力とは、結局は米国製のミサイルや航空機である。それに比べれば、イージス・アショアなど安い商売でしかないから、米国は怒らず、自分たちが先手を打ちたくない対中戦争を、日本が進んでやるならば、米国にとっては願ったりの展開である。

 ■「対中軍事対決」止めなければ

 仮にトランプ大統領が敗れても、バイデン候補が外交でやることは、米国の戦後世界秩序の再建であり、それは、日本を好きに使う、ということである。同時に、対中強硬姿勢を弱めることはない。香港国家安全維持法制定後の中国の振る舞いを見れば、中国が人権に配慮することがないのも明らかである。

 日本は、そのような米国、そのような中国の間で、どのような将来を築いていくのか。軍事要塞化が進む宮古、石垣を舞台に、対中軍事対決を辞さず、というような方向は、絶対に止めねばならない。

 今のままならば、軍事衝突が起きる可能性は高まる一方である。中国に対し、米国の威を盾に付き合うことにも、言うまでもなく、中国の「軍門に下る」ことにも未来はない。私たちは、戦後初めて、真剣に安全保障を考えねばならないのだ。 (佐藤学・沖縄国際大学教授)