米軍基地がショッピングモールに 異例の速さで完成、立役者は ライカム地区(北中城村)<息づく街・変わる街並み>①


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現在の字ライカム区。イオンモール沖縄ライカム(中央)と中部徳洲会病院(右)、左側後方には高層マンションなどが建ち並ぶ=22日、小型無人機で撮影

 緑あふれる丘陵地には高層マンション群が建ち並び、県内最大級のショッピングセンター・イオンモール沖縄ライカムは今日も県内外の来場者でにぎわっている。今や県内で有数の商業地域となった北中城村の「ライカム地区」。かつて「比嘉」という集落があり、戦後は米軍アワセゴルフ場として接収された。2010年の返還後は、早期の土地活用に着手し、軍用地跡地利用のモデルケースとしても名高い。米軍専用施設から観光地へ―。大きく様変わりした様子をたどる。

 「厳重な警備はなく、子どものころは遊び場だった」。旧比嘉郷友会の与儀毅会長(69)は懐かしそうに笑う。戦前68世帯315人が住む比嘉地区は1945年に米軍に接収され、住民は周辺地域に移り、与儀さん一家も近隣の沖縄市久保田に住んだ。

1945年に米軍に接収された比嘉地区は、米軍専用施設「アワセゴルフ場」として使用された=2012年

 2010年の返還後、沖縄防衛局の管理を経て13年に地権者に引き渡された。同年、地権者らは早期の土地活用を目標に「北中城村アワセ土地区画整理組合」を立ち上げた。「自分たちの土地をどう活用していこうか。その思いが類を見ないスピード感がある事業の進展につながった」と振り返る。

 組合は「医療福祉施設」「複合型商業施設」など四つの土地計画を策定し、地区全域を申し出方式で土地の交換(申出換地)を行い、2019年に区画整理登記を完了、6年8カ月の“異例の速さ”で事業を完成させた。現在ライカム地区には289世帯687人(7月時点)が住む。村は2038年までに約2700人の人口集積を目指している。

 19年9月、かつての「比嘉」の字名ではなく、新字名は琉球米軍司令部の略称から「字ライカム」となった。与儀さんは「そっちの方が広く知られているからね。よいんじゃないかな」と笑う。ただ、子どもたちには「比嘉」を忘れてほしくはない。郷友会は今もウマチーや慰霊祭などの行事を続けている。「ライカムの発展を見守りながら、ここに比嘉という部落があったことを伝え残したい」。穏やかに語った。
 (新垣若菜)

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 区画整理事業や米軍基地の返還跡地利用、幹線道路の開通などで、新たな「街づくり」が昭和から平成にかけて県内各地で進められた。地域の課題を含め、どのように街が変わっていったのか、地域の様子を紹介する。