ドキュメンタリー映画監督・松林要樹さん 定住し構想ふくらむ 未帰還兵から南米移民へ 藤井誠二の沖縄ひと物語(18)


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 流れるようにして2017年に沖縄に辿(たど)り着(つ)き、定住するつもりでいる。医療関係の仕事をしているパートナーが沖縄で職を得たことがきっかけなのだが、沖縄の地で子どもに恵まれた。ドキュメンタリー映画を撮ってきた松林要樹さんが沖縄に移住してくることを知ったのは、ぼくがちょうどバンコクである取材をしているときだった。

使い込んだリュックを背負い、栄町の雰囲気になじむ松林要樹さん=7月15日、那覇市安里(ジャン松元撮影)

 松林さんの書いたノンフィクション『馬喰』(2013)はぼくの本棚にあった。「馬喰」とは一般的に牛馬の売買や周旋等をする仕事を指すが、『馬喰』は、原発事故に翻弄(ほんろう)された福島県の南相馬の馬喰一家に寄り添い、そして、松林さんが生まれ育った福岡県内の某屠場(とば)で馬肉産業を見つめる。馬を屠(ほふ)る現場を描く筆致に刮目(かつもく)した。

 監督したドキュメンタリー『花と兵隊』(2009)も、ぼくは地方のミニシアターで観ていた。

 太平洋戦争後、戦地に残留してタイ国内で家族を持ち、生涯を送った6人の「未帰還兵」たちをインタビューした作品だが、敗残状態の中、戦死した日本兵の肉を喰(く)ったという証言のくだりにはくぎ付けになった。元兵士が吐き出す憤怒にも似たどろどろした言葉や心情を、松林さんのカメラは捉えていた。

 「福岡県の大川で生まれたんですが、親父が材木の買い付けでよく東南アジアに行っていたんです。子どもの頃から東南アジアの国とか都市の名前はよく聞いていたんです。ロンドンやニューヨークより、ジャカルタとかコタキナバルとかのほうが耳によく馴染(なじ)んでいた。じっさいにそれらの土地に旅に出たのは19歳のときです」

世界各国への旅

 1998年から2000年にかけてバックパッカーとして、タイやラオス、ミャンマーらの国々をうろついた。人生の舵(かじ)を「ドキュメンタリー」の方向へ切ったのは地元の福岡の大学生だったとき、ドキュメンタリー監督の森達也さんが「オウム真理教」を教団の内側から撮った『A』を友人と観てからだ。

 「そのときに衝撃を受けたんですよ。森さんがオウムに対しても誠実に接してるし、ノー編集のように、長い。これ、ドキュメンタリーなの?と思った。ぼくはドキュメンタリーって、いわゆるNHKスペシャルみたいなものをイメージしていたので、おもしろいと思った。そのときの思いが、いま自分もドキュメンタリーやるきっかけになっています」

 大学に通いながら世界のあちこちを旅したり、アルバイトに精を出したりする生活。親は「ふざけるな」と息子にあきれた。大学中退後は東京に出て、日本映画学校に入り、ドキュメンタリーのイロハを学んだ。実習授業で、福岡県の旧・三池炭鉱の「鉱山学校」を取り上げた。そこで学んだ親友二人が、組合活動の方針等から仲違(なかたが)いしていたが、四十何年ぶりに会うという瞬間を見逃さなかった。卒業制作ではホームレスを対象にしたドキュメンタリーを撮った。

移民のルーツ辿る

短パンにゴム草履姿で沖縄そばを食べる松林要樹さん=7月15日、那覇市安里(ジャン松元撮影)

 「ぼくは子どものときから組織とか集団に馴染めずにいつも失敗ばかりしていた。だから会社勤めもしたことがない。ずっと世界各地を数カ月単位で放浪を繰り返してきましたが、旅行中に知り合ったジャンキーの人たちを見て、自分よりヘンなやつやダメなやつがいっぱいいるんだなあと安心したり、驚いたりしてました」

 そう笑うが、映画学校卒業後はアフガニスタンで用水路を掘る活動をしていたNGO「ペシャワール会」の中村哲さん―2019年12月に銃撃を受けて死亡した―を訪ねた。ドキュメンタリーを撮るつもりでいったらすでに同業の「先客」が何人もいて、3カ月で去ることになる。アフガンから帰ったあとは東京に三畳一間の部屋を借り、そこを拠点にまたアジアを旅する生活を送り始めた。東北の被災地にも足しげく通った。

 「花と兵隊」を撮り始めたのは2006年からで、「未帰還兵」の家に泊まり込んだ。取材をした相手の中に、ブラジル生まれの輜重(しちょう)兵だった「坂井勇」さんという人がいた。両親は福井県からの移民。サンパウロ州の生まれだった。そのルーツを辿(たど)って2013年に初めてブラジルへ渡り、そこからブラジルで人脈ができた。「未帰還兵」の中には、「伊波(いなみ)廣泰(“いは”を”いなみ”に「改名」していた)」さんという元工兵の沖縄出身者もいた。

県人会の協力

 2019年12月に放送されたNHK・BS1スペシャル「語られなかった強制退去事件」というドキュメンタリーは、「未帰還兵」取材を通じてブラジルで培った人脈と、在ブラジルの沖縄県人会への取材が交差して生まれた作品だ。第二次世界大戦中、ブラジルの港町サントスに定住していた日系移民6500人が、ブラジル政府の命令で強制移住させられた悲惨な出来事があったが、戦後、ブラジルの日系人はほとんど語ってこなかった。

 「沖縄県系の“いなみ”さんとの出会いを経て、在サンパウロ沖縄県人会が協力してくれた。他の内地の出身者より、沖縄出身者のほうが移民史など村や町の記録を残して書籍にする傾向が強かった。移民1世の方たちが本を作ることになっていて、その過程を撮影させてほしいと頼んだんです。で、あるときにぼくがサントスの日本人会館で資料を漁っていたら、偶然に強制退去させられた人の名簿を見つけちゃった。そこから取材はスタートしていったんです」

 南米へ移民した人たちが日本で最も多かった沖縄県系の人たちは、多人種が共存する平和な社会を意識していた。だから協力が得られたと思う―そう松林さんは振り返る。流れるように対象者と出会い、カメラをまわし、ペンを走らせてきた。定住の地として選んだ沖縄でも構想がいくつもふくらみつつある。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

まつばやし・ようじゅ

 ドキュメンタリー映画監督。1979年福岡県大川市生まれ。日本映画学校卒。「花と兵隊」(2009年)の撮影で06~09年、バンコクに滞在。ほか主な作品に「相馬看花」(11年)、「祭の馬」(13年・ドバイ国際映画祭ドキュメンタリー部門最優秀作品賞)、「Reflection」(15年)、「語られなかった強制退去事件」(19年)がある。著書に『僕と未帰還兵との2年8ケ月』、『馬喰』など。15年度文化庁新進芸術家海外研修制度でブラジル・サンパウロに滞在。現在、西原町在住。

 

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。