10・21県民大会から25年「政府の言い分に憤り」 当時副知事の東門美津子氏


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 1995年に起きた米軍人による少女乱暴事件を受け、党派を超えて8万5千人(主催者発表)が結集した県民総決起大会から21日で25年。県民は沖縄戦から続く基地の負担に怒りの声を上げ、米軍基地の整理縮小や日米地位協定の見直し、米軍の綱紀粛正などを求めた。しかし、過重な基地負担は今なお続き、米軍関係の事件事故も起こり続けている。基地問題を根源とする不平等は解消されないままだ。1996年、日米は普天間飛行場全面返還に合意したが、まだ実現していない。当時の副知事で前沖縄市長の東門美津子氏(77)に、大会開催の経緯や今も変わらない基地負担について聞いた。

 (聞き手 座波幸代)

東門美津子氏

―25年前の様子は。

 「北京の世界女性会議に沖縄代表団の顧問として参加した。米大統領夫人だったヒラリー・クリントン氏が『人権とは女性の権利であり、女性の権利とは人権である』とスピーチした。私たち女性が頑張らなければと帰沖した直後、事件を知った。北京から高里鈴代団長が帰国したら抗議の会見をしようと、県庁の女性政策室に声を掛けすぐに動き出した。女性たちの怒りや憤りが大きな動きにつながり、『基地・軍隊を許さない行動する女たちの会』が正式に立ち上がった」

―どんな思いだったか。

 「『絶対に許してはいけない』『これで終わりにしよう』という思いだった。事件が起こる度に政府は再発防止と言うが、その後も繰り返す。基地があるがゆえに起こり続ける。私も含め、県民に与えたショックはすごく大きかったと思う。大田昌秀知事は壇上で『少女の尊厳を守れなかったことをおわびしたい』と語った。守るはずの大人たちが守ってあげられなかった」

―基地問題を巡る現在の動きをどう見るか。

 「25年たつ今も動きがない。普天間飛行場の問題でも『辺野古が唯一の解決策』という政府の言い分に憤りしか感じない。一方、玉城県政は政府に対話の場を求めているが、県政がどこに向かいたいのか、方向性が県民に見えにくくなっていないか。基地問題では保守革新関係なく、県民のために動き、これからの世代のために沖縄を『あるべき姿』にしてほしい」