任命拒否は国民全員の「自分事」<県内識者の見方㊥>


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 はじめに日本学術会議(以下「会議」)について確認しておきたい。年間予算が約10億円とされているが、その半分以上は事務等の人件費に使われる。会員は200人強だが、連携会員も約2千人おり、支給されるのは基本的に委員会や分科会等に出席した際の手当と旅費だけだ。インターネットで公表されている「活動の手引き」にあるが、委員会や分科会ですら「開催回数は予算等の関係上、1年に3回程度」とあるほど財政は厳しい。「公務員」だというが「給与」は前述の手当のみ、もちろん「年金」等とは無縁だ。

 今回の任命拒否は政治の介入による「学問の自由」という人権の侵害につながる。拒否の理由が明らかになっていないことも大きな問題だ。ここから研究者の「萎縮」が起こるからだ。

 研究者から見て、拒否された6人の研究業績はどなたも優れており、その理由が業績不足でないことは確かだ。そもそも、会議内部で専門性のある研究者が優れていると判断した業績を、専門家以外が判断できると思えない。すると業績以外の理由があると推測せざるをえなくなる。拒否された全員の共通点として、過去に政府が提案した法制度に強く反対表明したことが浮かび上がる。つまり「物言う研究者」が外されたのではないかという臆測が出てくる。

 現在、大学の運営費交付金はどんどん減らされていて、外部の研究費を取らなければ研究者の命である研究ができない。その中心となるのが国からの「科研費」だ。研究者は今回の任命拒否を見て、国の政策に反する「かもしれない」研究をしたら、研究費がもらえない「かもしれない」と萎縮してしまい、自由な研究ができなくなる。

 既に国会議員が、科研費による一部のフェミニズム研究を「捏造(ねつぞう)」とした発言が訴訟に発展し、萎縮につながっている。特に求職中の研究者にとっては、研究内容のせいで採用されないかもしれないという不安を生む可能性がある。

 このことが国民全体にどう影響するのか。誰もがすべての分野の専門家たりえることはできない。だから、各分野の専門家の研究成果を聞いて知識を得る。政治家も同様で、専門知識に基づかなければ間違った方向に進むこともある。その時に、研究全体が政府に忖度(そんたく)したものになっていたら、どうか。国の政策が間違った方向に進んだ時に、何の歯止めも存在しないことになる。このことこそが、国家の、私たちの、そして民主主義の危機なのだ。

 確かに、会議自体の在り方に議論すべき点はあるかもしれないが、今回の任命拒否とは全く別の話だ。任命拒否の及ぼす効果は、国民全員にとって他人事ではなく、自分事なのだ。

(矢野恵美氏、琉球大学法科大学院教授)


 やの・えみ 専門は刑事法、ジェンダー法。学術会議連携会員。理事を務めるジェンダー法学会は日本学術会議第25期新規会員任命に関する要望を支持する緊急声明を出している。