那覇→大宜味 「平和旅」 82歳前田さん 疎開の道92キロ歩く 津波区民出迎え受け 7日かけ到着 「入村許可証」も


社会
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津波区民から歓迎を受ける前田幸輝さん(右) =16日、大宜味村津波区

 【大宜味】戦後75年の今年、コロナ禍で平和行進などさまざまな取り組みが縮小開催や中止を余儀なくされる中、「一人平和旅」を決断し那覇から大宜味村までの92キロを歩いた男性がいる。大宜味村津波区の前田幸輝さん(82)は1944年の十・十空襲から76年目の10月10日、平和を願い那覇市の明治橋を午前8時に一人でスタートし、車は一切使わず大宜味村喜如嘉までを7日間かけ歩いた。

津波区民から歓迎を受ける前田幸輝さん(右から6人目)

 これまでにも沖縄平和美術展へ絵画を出品するなど平和活動を絶やしたことはなかったが、平和行進がコロナ禍で中止になったことから、母親の歩いた道をたどることで平和への決意を新たにする意味を込め「一人でもやり続けたい」と決断。宿泊先はあらかじめ決めずに、その日の午後に決めたという。一日で歩いた距離は平均13キロで、合計92キロの道のりを完歩した。

 戦時中、前田さん家族は那覇市山下町に住んでいた。戦火が厳しさを増す中、母親は出身地の大宜味村へ3人の子どもを連れて疎開。当時6歳だった前田さんは母親に手を引かれ、時には背負われながら大宜味村まで歩いたことが鮮明に記憶に残っているという。疎開先は母親の出身区の喜如嘉に割り当てられ、戦後中学3年までを大宜味村で過ごした。一家は後に那覇へ戻るが、前田さんは退職後、再び大宜味村へ移り住み地域の活動へ積極的に参加している。

 「16日に大宜味村に到着」の一報を聞いた津波区民は横断幕を準備。クバガサをかぶった前田さんの姿が見えると涙ぐみ出迎える人もいた。その後も村内の道沿いでは住民らが声援を送っていた。

 役場に到着すると職員が「大宜味村旧庁舎」前で、当時の「入村受付」を再現。村長のサインの入った入村許可証を受け取り目的地の喜如嘉へ向かった。

 前田さんは「旅の途中、出会った人の支えや偶然の出会いもあり最後まで楽しく歩くことができた。健康であれば何歳になっても夢がかなう。大変な中、苦労して育ててくれた親のおかげで今の自分がいる。皆さんも親からいただいた命を大切にしてください」と日焼けした顔で感慨深く話した。今後、平和旅で撮りためた写真展を開催する予定という。(安里郁江通信員)