社会

「関東で起こっていたら…」沖縄戦を指揮した牛島司令官の孫・貞満さん 東京の小学生に初講話

立体模型を使いながら、第32軍司令部壕について児童に説明する牛島貞満さん(右端)=27日、那覇市の首里城公園

 沖縄戦で日本軍第32軍を指揮した牛島満司令官の孫、牛島貞満さん(67)が27日、修学旅行で沖縄を訪れた東京都の小学生を那覇市の首里城公園で案内し、地下にあった第32軍司令部壕や日本軍の南部撤退について説明した。牛島さんが子どもを対象にガイドを務めるのは初めて。牛島さんは南部撤退が住民を戦闘に巻き込むさらなる悲劇につながったことや、米軍が計画した日本本土への上陸作戦に触れ「関東でも同じことが起こっていたら、今、君たちの誰かは存在しなかったかもしれない。沖縄戦は身近な出来事だった」と語り掛けた。

 東京都世田谷区の和光小6年の児童66人が耳を傾けた。同校は1987年から修学旅行で沖縄を訪れており、沖縄戦や基地などに関する平和学習に取り組む。

 牛島さんは首里城や第32軍壕の立体模型を使いながら、最深部で33・5メートルあった地下壕の全体図について説明し、壕の入り口跡地付近を案内した。

 第32軍が首里から南部への撤退を決め、住民と日本軍、米軍が混在する状況が生まれたことを挙げ「沖縄戦で亡くなった住民は約9万4千人と言われるが、(撤退がなければ)その3分の2くらいは生き延びた可能性がある」と強調した。

 祖父の満司令官について児童の関心が集まった。1945年6月19日に祖父が発した「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」という最後の命令と、その前日に詠んだ「秋待たで/枯れ行く島の青草は/皇国の春に甦(よみが)えらなむ」という句について、牛島さんが紹介した。意味を分かりやすく説明した上で「牛島満が何を考えてこんなことをしたのか、考えてみてください」と締めくくった。

 山口晏論(あろん)さん(12)は「作戦を決めた当時の人はもういないけど、南部に逃げることで被害が出ることを確認もせずに撤退した責任は取ってもらいたいと思った」と語った。



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