戦争の悲惨さ訴え 渡嘉敷島出身の金城重明さん 強制集団死を東京児童に語る


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 太平洋戦争中に起きた渡嘉敷島の「集団自決」(強制集団死)で生き残った金城重明さん(91)=那覇市=が27日、沖縄への修学旅行を続ける和光鶴川小学校(東京都)の6年生を対象に戦争体験を話した。「自分を責めなかったか」「生きてて良かったか。後悔は」。率直な疑問を投げかける児童に対し、金城さんは一つ一つ丁寧に答え、非戦の思いを伝えた。

金城重明さん=27日午後、那覇市の沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ

 「私は91歳、戦争は75年も前のこと」。金城さんは児童が想像しやすいように優しく語り掛けた。

 1945年3月27日、金城さんら家族を含めた渡嘉敷村阿波連の住民は日本軍に集落から約7キロ離れた北山(ニシヤマ)への移動を命じられた。そこは日本軍の陣地だった。翌28日、他の家族が手りゅう弾を爆発させて「自決」を図った。だが、不発のものが多く、金城さんの目に飛び込んできたのは木や石で家族を殴り殺す光景だった。

 金城さんは兄と2人で母と妹、弟に手をかけた。「どうせ死ぬなら米軍に斬り込もう」。兄と2人で外に出ると、日本軍がいた。なぜ生きているのか理解できなかったが、必死の思いでその場から逃げ、生き延びた。

 児童らは金城さんの体験を心に刻むようにメモを取ったり、じっと見つめたりしながら聞き、時間いっぱいまで質問した。生きていて良かったことや後悔はないか問われた金城さんは「命は一つしかない。後悔はしていない」と命の大切さを説きながら、戦争の愚かさや悲惨さを伝えた。

 講話では、同じく渡嘉敷出身の吉川嘉勝さん(82)=那覇市=もマイクを握り、「集団自決」が起きた理由について、島に軍隊が来たことや、沖縄が差別されていたことなどが背景にあるとの見解を紹介した。