現代の名工、沖縄から4氏 琉球絣・大城さん、琉球ガラス・末吉さん、シーサー作り・島袋さん、日本料理・石原さん


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 厚生労働省は6日、工業技術や衣服、建設など各分野で卓越した技能を持つ150人を2020年度の「現代の名工」に選んだと発表した。県内からは、織布工の大城一夫さん(73)=南風原町、ガラス吹工の末吉清一さん(58)=豊見城市、陶磁器焼成工の島袋常栄さん(76)=那覇市、日本料理調理人の石原昌明さん(70)=宜野湾市=が認定された。県内の「現代の名工」は延べ60人。表彰式は9日に東京都内のホテルで開かれる。


大城一夫さん(73) 織布工 親子3代で技術継承

藍壺に入れて染色した糸の色を確かめる大城一夫さん=4日、南風原町の「大城廣四郎織物工房」

 「藍のにおいと機織りの音が、幼い頃から生活の一部だった」。織布工の大城一夫さん(73)=南風原町=は藍壺に入れた糸の色を確かめながら、幼少期を思い返した。祖母のウサさん、父の廣四郎さんに続き、親子3世代で琉球絣(かすり)を継承してきた。「小学4年ぐらいから父の仕事を手伝っていた。最初は面倒に思っていたのにね。ずっと続けてきた中で父に続いて名工に選出された喜びは大きい」と笑顔を見せた。

 デザインやくくり、染色など、分業方式で生産されていた工程を同じ工房の中で一貫して生産できる方法を確立した。「いい物を作るには、全ての工程を直接見ることができる体制づくりが必要だった」

 南風原町の琉球かすり会館では子ども向けの「かすり体験教室」が時折開催される。絣は子どもたちにも身近な物として根付いている。「これからも魅力と技術を継承しながら自分の技術もさらに追究していく。特に染めの作業は今も難しい。心が躍るよ」と楽しそうに作業を続けた。


末吉清一さん(58) ガラス吹工 世界への発信視野

工房でガラス作りに臨む末吉清一さん=4日、糸満市福地の琉球ガラス村

 RGC(琉球ガラス村、糸満市)の副工場長、末吉清一さん(58)=豊見城市=はガラス工芸の道に入り40年を超えた。当初、3カ月間のアルバイトをする予定だった。16歳の頃、夜は高校に通い、昼は宜野湾市のガラス工房でアルバイトをした。「親方に上手と褒められたから、うれしくて。仕事も3カ月から7年まで続いていた」

 1985年にRGCの前身となる「琉球ガラス工芸協業組合」が設立され、所属する宜野湾のガラス工房も統合された。95年に同組合がベトナムに進出すると、末吉さんは翌年、現地の人材育成担当としてベトナムに派遣された。2000年初めまで約150人の職人育成に携わってきた。「最初は言葉も通じず、大変だった。でも常に自分が作ったものを見せながら指導した」と海外での体験を振り返る。

 今後も技術の研さんを続ける。「今は情報開示の時代で、いつでもネットでいい物が見られる。自身の作品も含め世界へ発信していきたい」と展望した。


島袋常栄さん(76) 陶磁器焼成工 人生シーサー作り

シーサーへの思いを語る島袋常栄さん=5日、那覇市壺屋

 「やちむんの街」壺屋の陶芸一家で育った生粋の陶工はシーサー作りに人生をささげる。「僕のシーサーは怖くなくて、人間っぽい。でも、魔よけのために威厳と存在感があるんじゃないかな」。柔和な表情で語りつつ、鋭い眼光でシーサーを見つめる。

 島袋常栄さん(76)=那覇市=は陶工の父・常恵さんの四男として1943年に生まれた。物心ついた頃から土をこね、壺屋小3年の頃には教諭に頼まれ授業でシーサー作りを披露した。沖縄大学に通っていた頃から父に師事、シーサー作りにのめり込んだ。手びねりの技が評価され、沖展などに入選。2002年に伝統工芸士に認定された。

 壺屋陶器事業協同組合の理事長を務め、那覇市制施行90周年記念事業の巨大シーサー作りでは中核を担った。後進育成や体験学習が評価され、今回の選定につながった。「今までで一番うれしい。これからの目標は昔のように登り窯で作ること。新しい時代のものづくりにも取り組みたい」。創作意欲は尽きない。


石原昌明さん(70) 日本料理調理人 地元の味引き出す

若い世代に料理の心と技を伝える石原昌明さん=4日、那覇市大道

 「この一仕事が後で料理に影響する」。きゅうりを手塩でもみながら若い世代に実践させる。石原昌明さん(70)=宜野湾市=は地元の特産品を使った名物料理を創作し続けてきた。一手間を惜しまず食材の魅力を最大限に引き出すことで、その料理は、忘れられない味になる。

 18歳の時、静岡県で料理人としての修行が始まった。最初の1年は皿洗いばかり。4年後に沖縄に戻り琉球料理と割烹(かっぽう)を学んでいる時に静岡時代の先輩から声が掛かった。大分県の別府富士観光ホテルの料理長に抜てきされたのは33歳の時だった。

 その時、大分の特産品の豊富さに気づいた。「沖縄出身だったから。こんな食材があるんだ、といろんなアイデアが浮かんできた」。大分の食材を使った一村一品料理を打ち出し、1985年に県知事表彰最優秀賞を受賞。「ふるさとの味」の素地を作った。現在は沖縄県日本調理技能士会の会長を務め人材育成に努める。「若い子を育て、橋渡しになりたい」と笑った。