「沢田なら沖縄戦どう撮る?」 戦争を撮ることの意味とは


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シンポジウムに登壇した(左から)司会の川井田博幸氏、五十嵐匠監督、フリージャーナリストの綿井健陽氏、写真家の大石芳野氏=7日、東京都写真美術館

 【東京】ベトナム戦争の写真でピュリツァー賞を受賞した報道カメラマン沢田教一氏が亡くなってから50年の節目に、沢田氏の生きざまを振り返るとともに戦争報道を考えるシンポジウムが7日、東京都写真美術館で開かれた。沢田氏の生涯を追ったドキュメンタリー映画を制作した五十嵐匠監督、写真家の大石芳野氏、フリージャーナリストの綿井健陽氏らが登壇。沢田氏ら戦場カメラマンがどのような状況でシャッターを切り続けたのか、戦争報道が直面する現実、伝えることの重要性などについて意見を交わした。

 五十嵐監督は、米国が関係する戦争で米メディアの映像や写真だけになることへの疑問を呈した上で「他者である日本人が撮ることに意味を見いだしたい」と強調した。沖縄戦を描く映画「島守の塔」を制作するに当たり、「沢田が沖縄戦にいたらどのような写真を撮っただろう」と話した。

 綿井氏は戦争報道の意義を「戦争を記録するということは、問い返すことだ。戦争の実態が知られないと、(戦争が)繰り返される。知ることが戦争責任につながる」と強調。戦争・紛争地報道を巡る自己責任論とバッシングが渦巻く日本社会について、フランスやスペインではジャーナリストが紛争地に行くのは「基本任務」であり、職業的リスクとの社会のコンセンサスがあると指摘した。

 大石氏はテレビや雑誌などメディアで戦争報道が減っている現状に「戦争はもういいのではないかと、伝える側の意識がなえてきている。政府を見ているという状況が続いている」と危機感を示した。