龍柱の向き 論争に一石 首里城写真 識者「撮影時期検証を」


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ルヴェルトガが撮影した首里城正殿の正面階段部分(一部拡大)。大龍柱は正面を向いている(後田多敦氏提供)

 琉球王国時代とみられる首里城正殿前で、正面を向く大龍柱の姿を捉えた写真が確認された。大龍柱の向きが議論される中、論争に一石を投じそうだ。写真を確認した神奈川大学の後田多敦准教授ら「正面向き」を主張する研究者らは「向かい合わせとする説の前提が成立しないことが明らかになった」などと歓迎。一方、「向かい合わせ」を前提に議論を進めている国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」の委員らは「興味深い写真」と注目しながらも「当時、外国人が首里城に入場を許可され、写真を撮影するのはあり得ない」とし、撮影時期などに関し検証の必要性を指摘した。

 1992年に復元された首里城正殿の大龍柱は「百浦添(ももうらそえ)御殿(うどぅん)普請付(ふしんつき)御絵図(みえず)并(ならびに)御材木(おざいもく)寸法記(すんぽうき)」(寸法記)の絵図などを根拠に向かい合わせとした。「寸法記」は1768年の修理に関する首里王府の記録で、検討委も「寸法記」以降の大龍柱は向かい合わせとする前提で議論を進めている。1879年の「琉球併合(琉球処分)」で、日本軍の熊本鎮台沖縄分遣隊が首里城入りして以降、大龍柱は胴体部分が分断され短くなった。検討委はその際に正面向きにされたとみている。

 しかし、写真が1877年撮影であれば、熊本鎮台が首里城に入る前も正面向きだったことになる。後田多氏は「『寸法記』以降、向かい合わせとするなら正面向きに誰がいつ変えたのか立証が必要だ」と指摘した。92年の大龍柱復元に関わり、「正面向き」を主張する西村貞雄琉球大名誉教授は「新たな資料を基に検討が行われるべきだ」と述べた。

 一方、検討委員会委員長の高良倉吉琉球大名誉教授は「興味深い」とした上で「琉球国は外国人が城内に入ることに抵抗していた。フランス人が城内に入り、写真撮影するのは考えられない」と強調。「撮影時期を検証し、クリアできれば検討に値する」とした。

 検討委の安里進県立芸術大学名誉教授は「1877年に撮影したという裏付けがない。琉球併合(琉球処分)後に撮影されたと考えるのが自然だ。すぐ断定できるような十分な資料ではない」と指摘した。