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沖縄空手の学術研究を推進するため、県は10月22日、本年度第1回の沖縄空手アカデミーを開催した。沖縄大学の梶村光郎教授が「戦前の空手の学校教育への導入状況について」をテーマに講演した。日本の近代学校教育制度の変遷と、空手が戦前の学校教育に位置付けられるまでの経緯を報告した。
梶村氏は「学校教育への空手導入を考える場合、誰がどのような意図で空手を持ち込んだのかが問題になる」と提起した。導入状況を考える上で(1)沖縄における空手文化の状況(2)日本における近代学校教育制度の変遷と教育の課題(3)教科目としての「体操」に見られる体育観(4)体育の動向と武術・武道(5)糸洲安恒の遺訓から見える空手の戦略―の五つの視点を挙げた。
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近代空手の礎を築いた糸洲安恒(1831~1915年)は、1904年に県立中学校の大久保周八校長が空手を導入する方針を定めると、弟子の花城長茂と連携しその実現に尽力した。梶村氏は、沖縄で近代学校制度が発足した1880年ごろには「空手の指導者や道場があり、練習生がいたことがうかがわれ、沖縄社会に空手の文化が息づいていたことを物語るものであろう」と述べた。
練習生の中には軍隊や警察、中学校や師範学校に入った者もいたと推察した一方で「中学校や師範学校などで空手を学んだ生徒が、その後どのように空手人生を歩んだのか。そこが十分に解明されているようには見えない」とし、今後の研究課題に挙げた。
1871年に廃藩置県が実施され、同年7月には教育行政の府である文部省が設置された。その後教育制度は、全国に小中大の学区を設ける学制や、学科目に「体操」が加わった教育令が出された。教員に順良・信愛・威重の三つの気質を求め、兵式体操を導入した森有礼の教育改革や教育勅語の公布など、変遷をたどった。
梶村氏は「空手の修練を通じて自らの道徳的な生き方を確立するという、徳育としての空手を主張することで、当時の日本の教育行政の中に入り込む可能性が出てきたのではないか」と述べた。
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報告後、参加者が「戦前、空手が学校教育に導入された際、空手の教本が作成されたことはあったのか」と質問した。梶村氏は「指導者が空手の型などを紹介することはあったと思う。ただ、それが教本として子どもたちに渡っていたかは確認されていない」と答えた。
今後の研究を進める上で「沖縄では自分の半生の記録をまとめて、親族に配布することがあり、そこから当時の空手に関する記述も見えてくる可能性もある。時間のかかる仕事だが、学校と社会との関係を考えることで空手普及の実態が見えてくるのではないか」と語った。
第2回は11月19日に開催され、県立博物館・美術館主任学芸員の崎原恭子氏が「糸洲安恒と『唐手十ヶ条』について」をテーマに報告した。
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同アカデミーは来年3月までに全6回開催する予定。今後、12月24日の第3回では県空手振興課の仲村顕氏が「空手家・中城直正が伝えたもの」をテーマに実施する。問い合わせは県空手振興課(電話)098(866)2232。
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