あの日から今日で3年。普天間第二小学校に米軍ヘリの窓が落下し、子どもの命が危険にさらされたあの日、苛烈(かれつ)な怒りと悲しみが押し寄せた後、沖縄のメディアに身を置く人間として無力感にさいなまれた。しかし、考えることをやめてしまっては社会に吹きすさぶ「愚かな風」に流され未来の希望を手放すことになる、そう教えてくれるのが本作だ。
事故の後、被害に遭った小学校やその6日前に米軍ヘリの部品が落下した保育園が「やらせじゃないか」「基地ができた後に学校を建てたのに文句を言うな」といった、いわれなき誹謗(ひぼう)中傷を受けた。そのことについて著者は、相次いだ米軍機事故を本土メディアがどう報じたのかを検証し、沖縄ヘイトとも呼べる言説を「一部メディアが後押ししている状況がある」と指摘。大多数のメディアは「積極的に火消しすることはなく、黙認しているのが実態ではないか。これこそがより罪深い『消極的加担』であって、被害者への中傷を生む原因になっていると思われる」と結論付ける。
こうした沖縄をめぐる報道や沖縄に対する政権の姿勢についての論評の他、『忖度(そんたく)時代の政権とメディア』という副題の通り、本作には、この4年間の「表現の自由の縮減」とも呼べる社会の変化が記録されている。記憶に新しい「表現の不自由展」や「賭けマージャンと取材の自由」について。さらには「記者の倫理」や「実名報道」など古くて新しいテーマを扱った論評は約百篇にも及ぶ。いずれも著者の透徹された思考に貫かれている。
本のタイトル「愚かな風」は前作「見張り塔よりずっと」に続き、ボブ・ディランの唄からだという。ノーベル文学賞に選ばれたディラン。選考理由の一つに「口語で表現する偉大な詩人」が挙げられ、詩とは元来、書くものではなく声に出して伝えるものだったと評された。ディランの唄を口ずさむように沖縄の現状や政治についても本音で語り合える、著者の言う「権力監視のための批判の自由」を謳歌(おうか)できるよう、メディアはひるんではならないとの意を新たにする。
(平良いずみ・沖縄テレビキャスター)
やまだ・けんた 1959年、京都生まれ。専修大学ジャーナリズム学科教授。日本ペンクラブ専務理事、自由人権協会などの理事。琉球新報で「メディア時評」を連載中。