昨季の4輪カーレース「フォーミュラ4」(FIA―F4)で県勢初の年間王者に輝いた平良響=安慶田中―コザ高出。トヨタの支援を受け、参戦2年目にして快挙を達成した。20歳のホープは、来季はさらに上のカテゴリに参戦する可能性が濃厚だ。順風満帆な競技人生に見えるが、優勝決定直後のインタビューでは充実感にあふれた表情で、こう語った。「これまで谷あり、谷ありの崖っぷち状態だった」。高校時代に経験した2度の大きな挫折が、平良を強く、速いレーサーへと成長させた。
幼少期から車が好きで、5歳からカートに乗り始めた。中学3年から世界大会のジュニアクラス(高校2年以下)に2年連続で日本代表として出場。プロを志すようになっていった。
■落選から合格に
高校2年だった2017年の4~11月、成績優秀者がホンダの支援を受けてF4参戦の権利を得る鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS―F)を受講した。最後の7人まで残ったが、あえなく落選。同時期に出場し、シリーズ6位以内に入ればフォーミュラレースに出場できるライセンスを得る全日本カート選手権でも下位に沈んだ。
「自分は遅いしセンスもない。やめよう」。自暴自棄に陥り、大学受験の勉強に気持ちを切り替えた。しかし、既に生活の一部になっていたモータースポーツの世界。勉強も部活動のサッカーも何もかもが面白く感じない。「死んだ魚のようだった」
そんな時、カートの関係者らから「トヨタにもチャレンジしたらどうか」と勧められた。気持ちは進まなかったが、息子を気遣った父・晋が申し込み、書類審査に合格。ホンダと同じく、成績優秀者はF4参戦の権利を獲得する。ハンドルから離れ、競技が好きな思いを再確認していた平良は「受けるからには死ぬ気でやろう」と顔を上げた。
高校3年になった18年8月、期間は4日間。12人が受講し、最終日の5人に残った。しかしタイム審査で次点となり、またも落選。メーカーの支援なしでF4に出るには1千万円以上の資金が必要になるが、そんなお金はない。「今度こそもうやめだ」。全日程終了後、担当者との面接で「走りは良かった。気持ちは落とさずに準備はしていてほしい」と高評価を受けたが、耳に入らなかった。
4カ月後の12月初旬、1本の電話が入る。声の主はトヨタの担当者。「来年F4で乗りますか?」。落選から一転、合格を知らせる内容だった。「もちろん乗りたいです」。即答した。そのシーズンにトヨタが支援したドライバーの成績を踏まえ、急きょ空き枠が1人から2人に増え、打診を受けた。「本当に奇跡の奇跡。底から気持ちがどーんと上に上がった。いい正月を迎えられた」
■枠をこじ開ける
メーカーの経済状況や、その時々のドライバーの空き枠の数など「運とタイミング」にも左右されるモータースポーツ。「少しのミスですぐに評価が下がる。枠も限られ椅子取りゲームのよう」という厳しい世界だ。10連勝を含む圧倒的強さでF4を制した平良は強固な精神面をのぞかせる。「常に最初のチャンスは最後のチャンスだと思って走っている。枠をこじ開けるくらいの速さが必要だ」と気持ちをたき付ける。
昨年末には、一つ上のカテゴリのF3のマシンでテスト走行に臨んだ。最高速度は約260キロで、F4に比べてカーブでの速度が50キロほど速くなるという。ヘルメットに無線機が入り、ドライビングしながらエンジニアにピットでのセッティングを細やかに伝える知識と判断力も求められる。
度重なる挫折を乗り越え、深い自信をまとった平良は上のレベルへの挑戦に「めっちゃ楽しみ」と頬を緩める。「結果、結果と気負わず、2、3年で上にいきたい」と着実な成長を描く。将来的には国内最高峰のスーパーGTへの参戦も見据え、エンジン全開で突き進んでいく。
(長嶺真輝)