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答弁に「あなた子育てしている?」 当事者の悩み反映求めて…玉城ノブ子県議、西銘純恵県議<「女性力」の現実 政治と行政の今>4


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

written by 座波幸代

沖縄戦や米軍基地、貧困や格差の問題が政治活動の原点と語る県議の玉城ノブ子氏(左)と西銘純恵氏=県議会

 「なあいくさーならんどー(もう戦はいけないよ)」

 糸満市議を5期務め、県議になった玉城ノブ子氏(74)の父は、何度も同じ言葉を繰り返した。父はサイパンで戦争を経験し前妻との娘2人を亡くした。本人も重傷を負って糸満に戻った。母のきょうだいは沖縄戦で家族の多くを亡くした。戦後、母は密貿易で家計を支えた。

 父の言葉を聞き、女性たちの苦労を見ながら「戦争を起こしては駄目」「なぜ基地によって県民が苦しまなければならないのか」との思いが膨らんだ。

 30歳で初出馬した。父に「戦争のない平和な社会を実現していく」と伝えると、理解してくれた。だが、門中制度が根強く保守的風土のある糸満で、女性が議員になることを快く思わない人もいた。

 「議員なんか辞めて女は早く結婚した方がいい」

 周囲の男性たちから言われることは何度もあった。「あの時代は女性を見下すような風潮が残念ながら強かった」と振り返る。

 地域で長年続ける無料相談には、厳しい生活の声が届く。

 親が国保税を払えないため病院に行けず、学校を休んで家で寝込んでいる子どもたちがいるとソーシャルワーカーから連絡があった。両親は非正規雇用で母親は解雇に遭い、父親の給料では家賃と食費で精いっぱいの状況だった。すぐに子どもたちの保険証の手続きを支援した。子どもたちを取り巻く現状を目の当たりにし、市民や県民と共に声を上げて制度を変える必要性を痛感している。

 浦添市議から県議になった西銘純恵氏(69)も糸満出身。6人きょうだいの長女で、小学生の頃から母の仕事も手伝った。朝から晩まで働く両親。だが家は貧しく、生活保護を受けた時期もあった。

 中学生の時、公務員の親を持つ友達の家で初めて電話を使った。「一生懸命働いても貧乏なのはなぜ」「金持ちと貧乏ってなぜあるんだろう」。そんな疑問が幼い頃からあった。

 浦添市議選に立候補したのは49歳の時。市議だった夫から後任として出馬をお願いされた。

 法律事務所の事務局長として仕事を続け、定年を迎えるつもりだった中、21年間のキャリアからの転職は「清水の舞台から飛び降りるような気分だった」。

 一方、これまでの仕事や育児は政治と関わることだった。法律事務所には「サラ金」で苦しむ相談者が多く訪れ、生活苦で自殺する人もいた。法改正で金利が制限される流れを見た。

 長男が幼稚園に入る時に学童クラブがなく、近所の働く母親と共に学童クラブを作った。学童への支援を求めて市と交渉した。子育てをしながら自ら動いて政治を動かす経験をした。貧困や格差の問題、子育てや地域の課題―。その大本に「政治の力があることはよく分かる。それを自らやるか。大きな決断だった」。

 出馬に当たり、経済的な不安もあった。だが職場は身分をそのままにしてくれ「(結果が)駄目だったら戻っておいで」と配慮してくれたのは心強かった。

 西銘氏は議会活動で「男女は関係ない。性差別など受けたこともない」と言い切る。ただ、「男女がいる、子育て中の人がいる、介護をしている人がいる。そういうことをきちんと想定して、議会の仕組みを考えないといけない」と話す。県の執行部の答弁者は男性がほとんどで女性が少ない点も気になる。当事者意識のない答弁を聞きながら「『あなた子育てしている?』と聞きたくなる」と指摘する。

 玉城氏は「女性たちの悩みや要求を政治の場で生かしたら社会も動く。だって人口の半数は女性だもの」と語る。非戦の思いや格差への疑問を原点に、安心して暮らせる社会の実現にこだわる。


 世界的にも遅れている日本の「ジェンダー平等」。玉城県政は女性が活躍できる社会の実現を掲げ、県庁内に「女性力・平和推進課」を設置しましたが、政治や行政分野で「女性の力」を発揮する環境が整わない現状があります。女性が直面する「壁」を検証します。報道へのご意見やご感想のメールは、下記QRコードを読み取るか、seijibu@ryukyushimpo.co.jpまで。ファクスは098(865)5174。

 

 

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伊是名夏子さんコラム「100センチの視界からーあまはいくまはいー」

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