沖尚センバツ優勝の主将・西銘さん ホンダの初代「アナライザー」に 11年ぶり都市対抗V支える


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昨季を振り返り、コーチとしての目標などを語る西銘生悟さん=2020年12月30日、那覇市の琉球新報社

 昨年の社会人野球、第91回都市対抗大会で、11年ぶり3度目の頂点に立った埼玉県狭山市のホンダ硬式野球部。優勝の陰にはチームの初代アナライザーとして情報収集を担った、西銘生悟さん(30)=うるま市出身、沖縄尚学高―中央大出=の陰の支えがあった。今季はグループのホンダ鈴鹿(三重)のコーチに迎えられ、活動の場を移す。昨年末の帰省時、異例のシーズンで務めた初の役割を振り返ってもらい、新天地での意気込みを聞いた。 (上江洲真梨子)

 2008年の全国高校野球選抜大会、ソフトバンクで活躍する東浜巨投手を擁する沖縄尚学の主将として、比嘉公也監督ら以来、2度目となる選抜優勝を果たした。東都リーグの中央大を経て13年にホンダ入社。選手は19年のシーズンで勇退したが、20年は対戦相手の映像収集、解析の新設ポストを任され、チームの快進撃に寄与した。その仕事ぶりが評価され、ホンダ鈴鹿の走塁コーチとして新たな一歩を踏み出した。

 「言われる前にやる、自分で考えてプレーする姿勢は高校で身についた」という。高校で培われたリーダーシップ、観察眼は大学時代もプレーとともに指揮官から買われていたという。ベストナインに複数回選出され、主将も務めた。ホンダでは初年度から二遊間を任され、15年の社会人選手権の準優勝にも大きく貢献した。

 「アナライザーをやってみないか」。チームの中堅となっていた19年、監督からの一言が新たな道を開いた。それまで、練習に参加できない選手やコーチらが対戦相手の情報収集や分析を行っていた。だが、チームは20年から情報担当の「アナライザー」の専門職を設置。現役を退くことに「全力で練習してきたので未練はなかった。むしろ野球に携われることに感謝しかない」と二つ返事で引き受け、備品管理などを担うグランドマネジャーと兼務した。

 初めて任された役割は模索の連続だった。都市対抗大会の予選、本戦など開幕約2週間前から対戦相手の映像収集に駆け回り、投手、打者すべての特徴を既存のシステムに細かく入力。分析自体は全員で行うが、たたき台となる部分を一人で作成した。さらに昨季は試合数自体が少なく、データ収集にも苦労した。初戦で同じブロックに入ったチームを分析するため大会直前は「全然時間が足りなかった。おかげで時間をどう有効活用するか常に考えた」と振り返る。

 1月からは三重に移り、走塁コーチとして選手に接する。自身を“説明下手”だと言うが「これまで教わってきたことを、後輩につなげたかったので、またとないチャンス」と経験を還元するつもりだ。高校から信条とする「考えるプレー」を伝授する。「(アドバイスを)言い過ぎてもだめ。自ら考えてプレーし、結果を残せる環境をつくるのがコーチの務め」。選手に寄り添う理想の指導者像を思い描き、新たな夢を追い求める。