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ベビーベッド設置に反対され…懇親会でお酌せず「見えない問題を可視化」山内末子県議<「女性力」の現実 政治と行政の今>6


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「女性が政治に参画できないことは社会の損失につながる」と語る山内末子氏=12日、県議会

written by 吉田健一

 36歳で飛び込んだ世界は驚きの連続だった。1994年、学習塾経営から石川市(現うるま市)初の女性市議となった山内末子氏(62)にとって市議会は「閉鎖的で保守的な傾向が強い空間」だった。今では広く公共施設に置かれているベビーベッドを市民会館に設置すべきだと議会で提案したところ、先輩議員が反対した。「母親が抱っこすればいい」「誰かに子どもを預ければいい」。悪意があったわけではない。男性議員が必要性を感じなかったからだ。

 養豚などを営む農家の6人きょうだいの末っ子として生まれた。家は貧しく、冠婚葬祭の費用も工面できなかった。そんな時はいつも母親に連れられ親戚や知人宅でお手伝いした。高校生になるとアルバイトに明け暮れた。しかし両親から「人が面倒と思うことをやりなさい」と言われ育ったこともあり、アルバイトの傍ら生徒会の副会長として生徒会活動も積極的に取り組んだ。

 東京都内の大学を卒業後、沖縄に戻り、高校の同級生だった今の夫と結婚し、3人の息子に恵まれた。市議選に出馬したきっかけは息子が通っていた宮森小でのPTA活動だ。

 学校に配分される予算が少なく、画用紙1枚、チョーク1本に至るまで最後まで使い切るなど少ない予算で苦労する教員の姿を見て、生活と政治が直結することを知った。そんな折、石川市長や県議を歴任した故石川修氏から「若い女性の声を聞かせてほしい」と声を掛けられた。周囲の後押しもあり、子育てや教育環境の充実などを掲げ市議選に立候補した。

 子ども3人はいずれも小学生だったこともあり、「子どもを放っといていいのか」などの心ない言葉を浴びせられたこともあった。しかし「求められた時は応えた方がいい」と立候補を後押ししてくれた夫や息子が支えてくれた。地盤や組織の支援もない手探りの選挙だったが結果は当選。36歳だった当時、県内では最年少の女性議員となった。

 22人の議員中、女性は1人。男女の意識の違いを痛感する日々が続いた。懇親会ではお酌を求められたが、応じなかった。

 当選から1年。目と鼻の先で沖縄を揺るがす事件が発生した。米兵3人による少女乱暴事件が起きた。米軍への怒りと少女への申し訳なさでいっぱいになった。米軍基地に囲まれた沖縄の現状にじゅうりんされる女性の人権。すぐに石川市や市議会も行動を起こすべきだと提案したが、県民大会に向けた実行委員会の立ち上げなど、さまざまな場面で動きが鈍く感じた。「男性と女性の認識の違いを感じた」と振り返る。自身は事件後すぐに認識を共有する女性議員と訪米し、女性の人権を守るよう訴えた。当時感じた怒りや悲しみが政治家としての原点の一つだ。

 2008年に県議に転身し、現在4期目だ。議員活動と並行してPTA会長や野球部父母会長にもなった。周囲からは議員活動と子育ての両立を不安視する声も少なくなかった。しかし「生活の全ては政治」と語り、使命感を示す。還暦を過ぎ、ベテランの域に入った今は女性議員を増やすことに執念を燃やすが現実は厳しい。「政治の世界ではいまだ女性への信頼度が低い」。しかし諦めない。「男性社会の議会に女性が1人加わるだけで、これまで見えなかった問題が可視化される。女性が政治に参画できないことは社会の損失につながる」


 世界的にも遅れている日本の「ジェンダー平等」。玉城県政は女性が活躍できる社会の実現を掲げ、県庁内に「女性力・平和推進課」を設置しましたが、政治や行政分野で「女性の力」を発揮する環境が整わない現状があります。女性が直面する「壁」を検証します。報道へのご意見やご感想のメールは、seijibu@ryukyushimpo.co.jpまで。ファクスは098(865)5174。

 

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