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両親蒸発、不登校、シングルマザーに 自らの姿を母と重ね 中部農林定時制・志多伯久美子さん(上)<ここから 明日へのストーリー>


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定時制課程で学ぶ志多伯久美子さん=2020年12月、うるま市田場の中部農林高校(新里圭蔵撮影)

 2020年10月、定時制・通信制高校の生徒による生徒生活体験発表大会で、中部農林高校定時制課程1年の志多伯久美子さん(54)=うるま市=が最優秀賞に輝いた。自らの体験をまとめた作文の題名は「教育が人をつくり人が未来をつくる」。4月から長男がかつて通っていた学びやで、年の離れた同級生との学生生活が始まった。日中は市内のデイケア施設で働き、夕方から登校する。帰宅後、家事をこなし深夜に就寝する。「生きがい以外の何ものでもない」。今の生活を心から楽しんでいるが、それまでの道のりは険しかった。

 授業の一環で体験発表の作文を書いた。両親の蒸発や不登校、シングルマザー。いずれも心の中にしまい込んでいた記憶だった。自らの人生を見つめ、2週間かけて5枚の作文用紙を埋めた。

 小学2年になるまで、きょうだいと共に宜野湾市に住んでいた母方の祖父母に育てられた。祖母からは、両親は仕事のため上京したと聞かされた。3年になると、沖縄に帰ってきた両親との暮らしが始まった。離れていたためか、両親に対する認識は親ではなく「親戚の誰か」。環境の変化になじめず「私はあくまで居候だ」と感じていた。

 父親はギャンブルにのめり込み、ほとんど家に帰ってこなかった。母親は生活費や家のローンを返済するため、パートに加え夜はスナックで働いた。朝方に酔った状態で帰宅する毎日。次第に店で寝泊まりするようになり、家に戻ってこなくなった。

 小学校の黒板に、給食費の支払いが滞っている児童名が自分を含めて書かれていた。「食い逃げか」。同級生から、とがった言葉が飛んだ。「学校に行かなければ給食費を払わなくて済むのだろうか」と思い詰めた。幼い妹を抱き、弟をおぶって登校したこともあった。「学校には行きたい。けど、きょうだいの世話はどうしよう」。複雑な心境に押しつぶされ、次第に学校から足が遠のいた。

 両親は家を空けることがほとんどで、中学2年になると祖母との暮らしが再び始まった。「どれだけ大変な時でも、人は他人のために生きていけるよ」。祖母はおだやかに、何度もその言葉を繰り返した。

 不登校のまま中学を卒業し、親戚の営むレストランで住み込みで働いた。その後18歳で長女を、19歳で次女を出産した。やがて当時の交際相手とは別れることとなり、シングルマザーとして2人の娘を育てると決めた。

 一方、仕事の選択肢は少なく、母子3人で暮らすために、もがくように働いた。ふと、子どもを自宅に残し、出かけていく母親の姿が脳裏に浮かんだ。「母はみんなのために一生懸命だったんだ」。

 自らの姿と重ね、母に対する思いが変わっていった。

 (吉田早希)

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