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苦難経て福祉の道へ 学ぶ喜び「今が青春」 中部農林定時制・志多伯久美子さん(下)<ここから 明日へのストーリー>


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ホームルームの課題をこなす志多伯久美子さん=2020年12月、うるま市田場の中部農林高校(新里圭蔵撮影)

 暗闇の中、自宅へ続く道をそっと歩いた。当時10代でシングルマザーになる決断をした志多伯久美子さん(54)は、娘2人のうちの1人をおんぶし、もう1人を抱いていた。仕事を終え、子どもと共に帰宅するのは深夜1時。午前中はブティック、午後はホテルのウエートレスとして働きながら生活を切り盛りし、子どもたちは夜間保育園に預けた。「起こしてごめんね」。優しく声を掛けつつも、頭の中では「いつまでこの生活が続くんだろう」と不安がよぎった。

 そんな日々のさなかに祖母が脳梗塞で2度倒れ、その後、亡くなった。悲しみに暮れていた頃、転機が訪れた。知人の紹介で現在の夫・隆さんと出会い、2000年に結婚。長男の崚さんを授かった。初めて家庭の安らぎを知った。「どれだけ大変な時でも、人は他人のために生きていける」という祖母の言葉が、ストンと胸に落ちた気がした。

 祖母の介護を経験したことや、高校生になる自身の孫がダウン症であることをきっかけに、福祉の道を志すようになった。社会福祉士の資格を取りたいと思いを膨らませると、長男が通っていた中部農林高校に定時制課程があることを知った。

 「もう一度学校に」。PTA役員として足を運んでいた場所が、20年4月から自らの学びやに変わった。将来につながるようにと、1年ほど前からはうるま市内のデイケア施設で働いている。

長男の崚さんを抱く志多伯久美子さん(左)と夫の隆さん=2001年(本人提供)

 同年12月10日。辺りが暗くなり始める頃、中部農林高校の教室でいつものように授業が始まる。国語や社会、数学。学校で学べること全てが新鮮で、新たな発見が続く。「おかえり、おかえり」と移動教室から戻ってきた同級生に笑顔で声を掛ける。テニス同好会を立ち上げたほか写真部やボランティア部、授業の見直しを行うクラブにも加入した。

 「できる分でいい。お母さん、楽しんでおいで」と、家族は背中を押してくれる。不登校になり学校での思い出がほとんどなかった小中学生時代。ぽっかりと空いた穴が、ふさがっていくようだった。「今は青春の真っただ中」と照れたように笑う。

 卒業後は大学に進学するつもりだ。将来は娘や息子と共に、高齢者や障がい者を支える福祉事業所を立ち上げようと思っている。

 祖母の言葉が今も生きる。「困難を抱える人たちのために、私たちは手を差し伸べることができる。幼い頃から苦難の連続だったけれど、それを経験した今だからこそわかるんです」
 (吉田早希)

両親蒸発、不登校、シングルマザーに 自らの姿を母と重ね 中部農林定時制・志多伯久美子さん(上)<ここから 明日へのストーリー>