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「よそ者」に強い風当たり 変わるため「手を挙げないと」 <「女性力」の現実 政治と行政の今>9


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

written by 座波幸代

 1990年、儀間信子氏(78)は当時47歳で西原町議会初の女性議員となった。2010年には同議会で初めて女性議長に選ばれた。県内市町村でも、仲里村議会議長を経て02年に久米島町議長に選出された高良ノブ氏以来2人目だ。だが、初出馬時の苦い経験は胸に残る。

初当選時の新聞記事などを見ながら「女性が手を挙げたら応援が広がっていく」と語る儀間信子西原町議=西原町内

 本部町出身で名護高を卒業後、家族で那覇に出て化粧品店などを営んだ。名護市出身の夫と結婚してからは専業主婦に。住まいを西原町に構え、学校のPTA役員をしたり、地域の行事に率先して取り組んだり、新聞に投稿をしたりと、忙しい毎日を送っていた。

 ある日、地元の男性町議から「後任になってほしい」と打診され、驚いた。「私は何も分かりませんよ」。受けるかどうか迷った。だが何度も頼まれるうちに「女性の声を町政に届けたい」との思いが強まり、決心した。

 「でもね、その時は地域の男尊女卑が分からなかったから幸いしたのよ。私が地元の女性だったら絶対立てなかったはず」

 出馬が決まった途端、周囲の陰口や中傷はすぐ耳に入った。

 「ヤンバルガラサー(やんばるカラス=おしゃべり)」「寄留民のくせに」「イナグヌ、ヌーナイガ(女に何ができるか)」。面と向かって「女10人より、男1人がまし」と言われたこともあった。

 儀間氏が住む集落は同じ門中が固まり、地縁血縁を重視する側面があった。それに支えられた地元男性が出馬する中、夫婦ともに町外出身で「よそ者女性」の儀間氏への風当たりは想像以上に強かった。

 当時、小学生だった息子は「俺のおっかあ出るからよろしくね」と無邪気に地域を回った。投開票前日、儀間氏が住む集落から出馬した男性候補の街宣車は「地元の人を当選させましょう」と連呼し、儀間氏の自宅周辺をぐるぐる回っていた。

 初当選は定数22人中、21番目。辛勝だった。選挙中は苦しかったが、当選証書を付与され、「女性の地位向上に努力したい」「町職員の管理職登用でもっと門戸を広げ、その突破口にしたい」と決意を語った。

 90年代は、男女共同参画や女性政策が注目された時期だった。西原町は「女性行政懇話会」を設置。女性行動計画を策定し、県内各地の代表を集めた「女性サミット」を開催するなど、男女平等社会の実現へ機運が高まっていた。儀間氏もその中心になって動いた。

 町まつりで行われる「ミス・コンテスト」にも「おかしい」と声を上げた。なぜ女性だけが水着を着てスリーサイズで「評価」されるのか。議会で「女性差別だ」と質問すると、同僚の男性議員も「女性の社会参加とミスコンは政策の矛盾」と追及した。女性の新聞記者が議会の様子を記事にしたことで議論が広がり、数年後、まつりのミスコンはなくなった。

 町の監査委員、町議会議長、東部消防組合議長―。これまで「女性初」の役職に自ら手を挙げてきた。

 「地方では男性が決めることがほとんど。男性は男性を指名し、女性に『お願い』することはめったにない。だから女性は自分で手を挙げないといけない」

 初当選から今年で31年になる。有権者や地元の理解と支えが広がり、通算8期目を迎えた。各分野で女性の参画はある程度広まったと感じる一方、町内の女性議員は3人から増えたことはない。「女性女性と言わなくてもいい雰囲気にはなってきたが、『女性は数人いるからいい』と停滞していないか」

 男性政治家の女性蔑視の発言が今も繰り返される。その度に怒りと共に、「何も変わっていない」と悔しさが込み上げる。


 世界的にも遅れている日本の「ジェンダー平等」。玉城県政は女性が活躍できる社会の実現を掲げ、県庁内に「女性力・平和推進課」を設置しましたが、政治や行政分野で「女性の力」を発揮する環境が整わない現状があります。女性が直面する「壁」を検証します。報道へのご意見やご感想のメールは、seijibu@ryukyushimpo.co.jpまで。ファクスは098(865)5174。

 

 

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